18 当流聖人のすすめまします安心というは、なにのようもなく、まず我が身のあさましきつみのふかきことをばうちすてて、もろもろの雑行雑修のこころをさしおきて、一心に、阿弥陀如来後生たすけたまえと、一念にふかくたのみたてまつらんものをば、たとえば十人は十人、百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまうべし。これさらにうたがうべからざるものなり。かようによくこころえたる人を、信心の行者というなり。さてこのうえには、なお我が身の後生のたすからんことのうれしさを、おもいいださんときは、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
19 それ、末代の悪人・女人たらん輩は、みなみな心を一つにして、阿弥陀仏をふかくたのみたてまつるべし。そのほかには、いずれの法を信ずというとも、後生のたすかるという事ゆめゆめあるべからず。しかれば阿弥陀如来をばなにとようにたのみ、後生をばねがうべきぞというに、なにのわずらいもなく、ただ一心に阿弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまえとふかくたのみ申さん人をば、かならず御たすけあるべき事、さらさらうたがいあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
20 それ、一切の女人たらん身は、弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまえと申さん女人をば、かならず御たすけあるべし。さるほどに、諸仏のすてたまえる女人を、阿弥陀如来ひとり、我たすけずんば、またいずれの仏のたすけたまわんぞとおぼしめして、無上の大願をおこして、我諸仏にすぐれて女人をたすけんとて、五劫があいだ思惟し、永劫があいだ修行して、世にこえたる大願をおこして、女人成仏といえる殊勝の願をおこしまします弥陀なり。このゆえにふかく弥陀をたのみ、後生たすけたまえと申さん女人は、みなみな極楽に