ずらえてこころをうべし。このゆえに、二百一十億の諸仏の浄土の中よりすぐれたることをえらびとりて、極楽世界を建立したまえり。たとえば、やなぎのえだに、さくらのはなをさかせ、ふたみのうらに、きよみがせきをならべたらんがごとし。これをえらぶこと一期の案にあらず。五劫のあいだ思惟したまえり。かくのごとく、微妙厳浄の国土をもうけんと願じて、かさねて思惟したまわく、国土をもうくることは、衆生をみちびかんがためなり。国土たえなりというとも、衆生うまれがたくは、大悲大願の意趣にたがいなんとす。これによりて、往生極楽の別因をさだめんとするに、一切の行みなたやすからず。孝養父母をとらんとすれば、不孝のものはうまるべからず。読誦大乗をもちいんとすれば、文句をしらざるものはのぞみがたし。布施・持戒を因とさだめんとすれば、慳貪・破戒のともがらはもれなんとす。忍辱・精進を業とせんとすれば、瞋恚・懈怠のたぐいはすてられぬべし。余の一切の行、みなまた、かくのごとし。これによりて、一切の善悪の凡夫、ひとしくうまれ、ともにねがわしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとなえんを、往生極楽の別因とせんと、五劫のあいだふかくこのことを思惟しおわりて、まず第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんという願をおこしたまえり。この願、ふかくこれをこころうべし。名号をもって、あまねく衆生をみちびかんとおぼしめすゆえに、かつがつ名号をほめられんとちかいたまえるなり。しからずは、仏の御こころに名誉をねがうべからず。諸仏にほめられて、なにの要かあらん。
  「如来尊号甚分明 十方世界普流行
   但有称名皆得往 観音勢至自来迎」(五会法事讃)