寶珥長者・寶結長者と曰ふ。淸信女あり、名けて生僂と曰ひ、名けて黒哲と曰ひ、名けて信法と曰ひ、名けて軟善と曰ひ、名けて樂涼と曰ひ、名けて忍苦樂と曰ひ、名けて樂愛優婆夷と曰ふ。此の如きの人、皆一種類に、諸垢を消盡する勇淨の者なり。無數の衆、悉く共に大會す。
時に佛坐して正道を思念したまふに、面に九色の光有りて、數千百變す。光甚だ大明なり。賢者阿難、即ち座より起ちて、更に衣服を正しくし、佛足を稽首して、長跪叉手し、前みて佛に白して言さく。今佛の面目光色、何を以て時時に更變の明かなること乃し爾るや。今佛の面目の光精、數百千色にして、上下明徹して、好きこと乃し是の如くなる。我佛に侍へたてまつりてより已來、未だ曾て佛の身體、光曜巍巍として重明なること乃し爾るを見たてまつらず。我未だ曾て至眞等正覺の光明威神、今日の如く明好にして妄ならざること有るを見たてまつらず。會ず當に諸の過去・當來、若しは他方佛國の今現在の佛を念ずなるべし。佛阿難に告げたまはく。諸天有りて來りて汝に敎ふるや、諸佛汝に敎へて、我に問はしむるや。若自らの智より出づるや。阿難佛に白して言さく。亦諸天にても無く諸佛の敎にても無し。我今佛に問ひたてまつるは、自ら意より出で來りて佛に白したてまつるのみ。佛の坐起、若しは行出入、至り到る所、當に作爲すべし所、當に敎勅すべし所有る毎に、我輒ち佛意を知る。今佛獨り當に展轉して相思ひたまふなるべし。故に面色光明をして、乃し此の如くならしむるのみ。佛言はく。善い哉阿難、若が問へる所の者は、甚深にして快善なり、度脱する所多し。若が佛に問へるは、一天下の阿羅漢・辟支佛を供養し、諸天・人民及び蜎飛蠕動の類に布施すること累劫ならんに勝れること、百千萬億倍なり。佛言はく。阿難、今諸天帝王人民及び蜎飛蠕動の類、汝皆之を度脱す。佛言はく。佛は威神甚だ重くして當り難し。若が問へる所の者は大に深し。汝乃し慈心ありて、佛所に於て諸天・人民、若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を哀むこと、大に善し。當に爾爾皆之を過度すべし。佛阿難に語りたまはく。世間に優曇鉢樹有り、但實有りて華有ること無し。天下に佛有ます、乃し華有りて出づるが如し。世間に佛有ませども、甚だ値ふことを得ること難し。今我佛と作りて、天下に出でたり。若し大徳有りて、聰明善心にして豫て佛意を知るに、若忘れずば佛邊に在りて佛に侍へたてまつらん。若今問へる所、善く聽き諦かに聽け。佛阿難に語りたまはく。前の已過去の劫、大衆多にして計ふべからず、邊幅無く議り及ぶべからず。