前念後念と因となる。穢土の假名人、淨土の假名人、決定して一を得ず、決定して異を得ず、前心・後心、亦是の如し。何を以の故に、若し一ならば則因果无けむ、若し異ならば則相續に非ず、是の義は一異の門を觀ず論の中に委曲なり、第一行の三念門を釋し竟ぬ。

次に優婆提舍の名を成ず、又上成じて下の偈を起す。
我依修多羅 眞實功德相 説願偈捴持 與佛敎相應
此の一行、云何が優婆提舍の名を成じ、云何が上の三門を成じ下の二門を起すや。偈に「我依修多羅與佛敎相應」と言たまふ。修多羅は是れ佛經の名なり、我れ佛經の義を論じて經と相應して佛法の相に入るを以の故に優婆提舍と名くことを。名成じ竟ぬ。上の三門を成じて下の二門を起す。何の所にか依る、何の故にか依る、云何が依ると。何の所に依るとは、修多羅に依る。何の故にか依るとは、如來は即眞實功德の相なるを以ての故にと。云何が依るとは、五念門を修して相應するが故に上成じて下を起こと竟ぬ。修多羅は、十二部經の中の直説の者を修多羅と名く。謂く四阿含・三藏等なり。三藏の外の大乘の諸經も亦修多羅と名く。此の中に「依修多羅」と言ふは、是れ三藏の外の大乘の修多羅なり、阿含等の經には非るなり。「眞實功德相」は、二種の功德有り。一には有漏の心より生じて法性に順ぜず。謂凡夫人天の諸善、人天の果報、若しは因若しは果、皆是顛倒皆是虚僞なり、是の故に不實の功德と名く。二には菩薩智慧淸淨の業より起りて佛事を莊嚴す。法性に依て淸淨の相に入る。是の法顛倒せず虚僞ならず、名て眞實功德と爲す。