成就は、言ふこころは十方衆生の往生せむ者、若しは已に生じ若しは今に生じ若しは當に生ぜむ、无量无邊なりと雖ふも畢竟じて常に虚空の如く廣大にして際无くして終に滿つ時なからん。是の故に「究竟如虚空廣大无邊際」と言たまへり。 問曰。維摩の如きは方丈に苞容して餘有り。何ぞ必ず國界无貲 子友反 いまし廣大と稱せむや。答曰。言う所の廣大は必ずしも畦 五十畝下圭反 畹 三十畝一遠一万反 を以て喩と為に非ず、但空の如しと言ふ亦何ぞ方丈を累むや。又方丈の苞容する所は陜にありて廣なり。覈 實下革反 に果報を論ずるに豈に廣に在りて廣なるが若きをや。
正道大慈悲 出世善根生
此の二句は莊嚴性功德成就と名く。佛本と何が故ぞ此の莊嚴を起したまふ。有る國土を見そなはすに、愛欲を以ての故に則ち欲界有り。禪定を攀厭するを以ての故に則ち色・无色界有り。此の三界は皆な是れ有漏なり、邪道の所生なり。長く大夢に寢ねて悕出を知ることなし、是の故に大悲心を興したまふ。願は我れ成佛せむに、无上の正見道を以て淸淨の土を起して三界を出でむと。性は是れ本の義なり、言ふこころは、此の淨土は法性に隨順して法本に乖むかず、事『花嚴經』(普譯卷三四)の寶王如來の性起の義に同じ。又言ふこころは積習して性を成ず、法藏菩薩を指す、諸波羅蜜を集めて積習して成じたまへる所なり。亦性は是れ聖種性なり。序めは法藏菩薩世自在王佛の所に於て无生法忍を悟りたまへり、爾の時の位を聖種性と名く。是の性の中に於て四十八の大願を發して此の土を修起せり、即ち安樂淨土と曰ふ。是彼の因の所得なり。果の中に因を説く故に名けて性と爲す。又言ふこころは性は是必然の義なり、不改の義なり。海の性の一味にして衆流入れば必ず一味と爲りて、海の味彼に隨て改ざる如くとなり。又人の身の性不淨なるが故に