四には彼十方一切世界の无三寶の處に於て佛・法・僧寶の功德の大海を住持し莊嚴して遍く示て如實の修行を解らしむ。偈に何等世界无佛法功德寶我願皆往生示佛法如佛と言へるが故にと。
上の三句は遍至と言ふと雖も皆是有佛の國土なり。若し此の句无くば便ち是法身所として法ならざること有らむ、上善所として善ならざること有らむ。觀行の躰相竟りぬ。
已下は是解義の中の第四重を名て淨入願心と爲す。淨入願心といふは、
又向に観察莊嚴佛土功德成就と莊嚴佛功德成就と莊嚴菩薩功德成就を説きつ。此の三種の成就は、願心をして莊嚴せりと、知るべしと。
「應知」といふは、此の三種の莊嚴成就は本四十八願等の淸淨願心の莊嚴したまふ所なるに由て、因淨なるが故に果淨なり、因无して他の因の有にはあらざるなりと知るべしとなり。
略説して一法句に入るが故にと。
上の國土の莊嚴十七句と、如來の莊嚴八句と、菩薩の莊嚴四句とを廣と爲す。入一法句を畧と爲するなり。何が故にか廣畧相入を示現したまふとなれば、諸佛・菩薩に二種の法身有します。一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身に由て方便法身を生ず、方便法身に由て法性法身を出す。此の二の法身は異にして分つべからず、一にして同ずべからず。