略論安樂淨土義
問て曰く。安樂國は三界の中に於て何れの界の所攝ぞや。答て曰く。『釋論』(智度論卷三八)に言く。「斯の如きの淨土は三界の所攝に非ず、何を以ての故に、欲无きが故に欲界に非ず、地居なるが故に色界に非ず、色有るが故に无色界に非ざるなり」と。『經』(大經卷上意)に言く。「彌陀佛、本菩薩の道を行じたまひし時、比丘と作り名けて法藏と曰ふ。世自在王佛の所に於て、諸佛淨土の行を請問す。時に佛爲に二百一十億の諸佛の刹土、天人の善惡、國土の精麁を説き、悉く現じて之を與へたまふ。時于法藏菩薩、即ち佛前に於て、弘誓の大願を發し、諸佛の土を取りて、无量阿僧祇劫に於て所發の願の如く諸の波羅蜜を行じ、萬善圓滿して无上道を成ず」と。別業の所得なれば三界に非ざるなり。
問て曰く。安樂國に幾種の莊嚴有りてか名けて淨土と爲すや。答て曰く。若し經に依り義に據らば、法藏菩薩の四十八願は即ち是其の事なり。『讃』(讃彌陀偈)を尋ねて知るべし、復重ねて序べず。若し『无量壽論』(淨土論)に依らば二種の淸淨を以て。二十九種の莊嚴成就を攝す。二種の淸淨とは、一には是器世間淸淨、二には是衆生世間淸淨なり。器世間淸淨に十七種の莊嚴成就有り。一には國土の相三界の道に勝過せり。二には其の國廣大にして量虚空の如く齊限有ること无し。三には菩薩の正道大慈悲出世の善根從り起る所なり。四には淸淨の光明圓滿し莊嚴す。五には備に第一珍寶性を具へて奇妙の寶物を出す。六には潔淨の光明常に世間を照す。七には其の國の寶物は柔軟にして觸る者は適悦して勝樂を生ず。八には千万の寶華池沼を莊嚴し、寶殿・寶樓閣、種種の寶樹、雜色の光明、世界を影納して、无量の寶網虚空に網覆し、四面に鈴を懸けて常に法音を吐く。九には虚空の中に於て自然に常に天華・天衣・天香を雨らして莊嚴し普く熏ず。