彼の國に生ずることを得れば即ち究竟して淸涼なり。豈易行の道と名づけざるべけんや。須く此の意を知るべし。 二に問て曰く。既に淨土に往生せんと願ずれば此の壽盡くるに隨ひて即ち往生を得と言ふは、聖敎の證有りや不や。答て曰く。七番有り。皆經論を引きて證成せん。一には『大經』(卷下意)に依るに云く。「佛阿難に告げたまはく。其れ衆生有りて、今世に於て無量壽佛を見たてまつらんと欲はば、應に無上菩提の心を發して功德を修行して彼の國に生ぜんと願ずべし。即ち往生を得るが故に」と。『大經の讚』(讚彌陀偈)に云く。「若し阿彌陀の德號を聞きて歡喜讚仰し心歸依すれば、下一念に至るまで大利を得、則ち功德の寶を具足すと爲す、設ひ大千世界に滿てらん火をも、亦應に直ちに過ぎて佛の名を聞くべし、阿彌陀を聞かば復退せず、是の故に心を至して稽首し禮したてまつる」と。 二には『觀經』に依るに、九品の内に皆言く。「臨終正念にして即ち往生を得」と。 三には『起信論』(意)に依るに云く。「諸の生を敎へて眞如平等一實を觀ぜよと勸む。亦始發意の菩薩有り、其の心軟弱にして自ら常に諸佛に値ひ親承供養すること能はずと謂ひ、意退せんと欲する者には、當に知るべし、如來に勝方便有まして信心を攝護したまふ。謂く意を專にして佛を念ずる因縁を以て願に隨ひて往生す。常に佛を見たてまつるを以ての故に永く惡道を離る」と。 四には『鼓音陀羅尼經』に依るに云く。「爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく。我當に汝が爲に演説すべし。西方安樂世界に今現に佛有ます。阿彌陀と號したてまつる。若し四衆有りて、能く正しく彼の佛の名號を受持し、 其の心を堅固にして憶念して忘れざること十日十夜、散亂を除捨して精勤して念佛三昧を修習し、 若し能く念念に絶えざらしめば、十日の中、必ず彼の阿彌陀佛を見たてまつることを得て、 皆往生することを得べし」と。 五には『法鼓經』(意)に依るに云く。「若し人臨終の時念を作すこと能はずば、但彼の方に佛有ますと知りて往生の意を作すべし、亦往生することを得」と。 六には『十方隨願往生經』(灌頂經卷一一意)に云ふが如し。