[第五大門 二、禪觀難易]
第二に次に此彼の禪觀を比挍して往生を勸むることを明かすとは、但此の方は穢境にして亂想入り難し、就令ひ修得するも唯事定を獲て多く味染を喜ぶ。又復但能く業報の生を伏し、上界の壽盡きぬれば多く退す。是の故に『智度論』(卷一七)に云く。「多聞にして戒禪を持てども未だ無漏法を得ず。此の功德有りと雖も是の事未だ信むべからず」と。若し西に向ひて修習せんと欲せば事境光淨にして定觀成じ易し。罪を除くこと多劫、永く定まり速に進みて究竟淸涼ならん。『大經』に廣く説くが如し。 問て曰く。若し西方の境界勝にして禪定の爲に感ずべくば、此の界の色天は劣にして禪定の爲に招くべからざるや。答て曰く。若し修定の因を論ずれば彼此に該通す。然るに彼の界は位是不退にして并びに他力の持つ有り。是の故に説きて勝と爲す。此の處は復定を修するに剋すと雖も但自分の因のみ有りて闕けて他力の攝する無し。業盡くれば退することを免れず。此に就いて説かく、如かずと。
[第五大門 三、二土淨穢]
第三に此彼淨穢の二境を亦漏・無漏と名くるに據るとは、若し此の處の境界を論ずるに唯三塗・丘阬・山澗・沙鹵・棘刺・水旱・暴風・惡觸・雷電・躃礰・虎狼・毒獸・惡賊・惡子・荒亂・破散・三災・敗壞有り。正報を語り論ずれば三毒・八倒・憂悲・嫉妒・多病・短命・飢渇・寒熱あり、常に司命の害鬼の爲に追逐せ所る。深く穢惡すべし、具に説くべからず。故に有漏と名く。深く厭ふべきなり。彼の國に往生するは勝れたる者なり。『大經』に據るに云ふに、十方の人天但彼の國に生るる者、皆種種の利益を獲ざるは莫し。何となれば一び彼の國に生ずれば、行けば則ち金蓮足を捧げ、坐すれば則ち寶座軀を承け、出づれば則ち帝釋前に在り、入れば則ち梵王後に從ふ。一切の聖衆は我と親朋なり、阿彌陀佛は我が大師爲り。寶樹・寶林の下には意に任せて翺翔し、八德の池の中には神を遊ばしめ足を濯ぐ。形は則ち身金色に同じく、壽は則ち命佛と齊し。