坐觀禮念等に由るに面を佛に向くる者は是世の禮儀に隨ふなり。若し是聖人ならば飛報自在なることを得て方所を辨ぜず。但凡夫の人は身心相隨ふ、若し餘方に向はば西に往くこと必ず難し。是の故に『智度論』(卷九意)に云く。「一の比丘有り、康存の日阿彌陀經を誦し及び般若波羅蜜を念じ、命終の時に臨みて弟子に告げて言く。阿彌陀佛、諸の聖衆と與に今我が前に在すと。合掌歸依して須臾にして命を捨つ。是に於て弟子火葬の法に依り火を以て屍を焚くに一切燒き盡くれども唯舌根の一種有りて本と異ならず。遂に即ち收め取りて塔を起て供養す」と。龍樹菩薩釋して(智度論卷九意)云く。「阿彌陀經を誦するが故に、是を以て終に垂とするに佛自ら來迎し、般若波羅蜜を念ずるが故に、所以に舌根盡きず」と。斯の文を以て證す。故に知んぬ、一切の行業但能く廻向するに往かずといふこと無し。故に『須彌四域經』に云く。「天地初めて開くる時、未だ日月星辰有らず。縱ひ天人來下すること有れども但項の光を用て照用す。爾の時人民多く苦惱を生ず。是に於て阿彌陀佛二菩薩を遣はす。一を寶應聲と名け、二を寶吉祥と名く。即ち伏犧・女媧是なり。此の二菩薩共に相籌議して第七の梵天の上に向ひて其の七寶を取りて此の界に來至して日月星辰二十八宿を造り以て天下を照らし、其の四時春秋冬夏を定む。時に二菩薩共に相謂て言く。日月星辰二十八宿の西へ行く所以は、一切の諸天人民盡く共に阿彌陀佛を稽首するなり。是を以て日月星辰皆悉く心を傾けて彼に向ふ、故に西に流るるなり」と。
[第六大門 三、經敎住滅]
第三に經の住滅を辨ぜば、謂く。「釋迦牟尼佛一代、正法五百年、像法一千年、末法一萬年には、衆生減じ盡き諸經悉く滅せん。如來痛燒の衆生を悲哀して、特に此の經を留めて止住せんこと百年ならん」(大經卷下意)と。斯の文を以て證す。