後の解は小果の終に就く。應に知るべし。
[得益門]
第七に韋提佛の正説を聞きて益を得るの分齊を料簡すとは、 問て曰く。韋提既に忍を得と言ふ。未審し、何れの時にか忍を得たる、出でて何れの文にか在る。答て曰く。韋提の得忍は出でて第七觀の初に在り。『經』(意)に云く。「佛韋提に告げたまはく。佛當に汝が爲に苦惱を除くの法を分別し解説すべし。是の語を説きたまふ時、無量壽佛空中に住立したまふ。觀音・勢至左右に侍立せり。時に韋提時に應じて見たてまつることを得、接足作禮し、歡喜讚歎して即ち無生法忍を得」と。何を以てか知ることを得る。下の利益分の中に説きて言ふが如し。「佛身及び二菩薩を見たてまつることを得て、心に歡喜を生じ、未曾有なりと歎ず、廓然として大悟し無生忍を得たり」と。是光臺の中に國を見し時得たるには非ざるなり。 問て曰く。上の文の中に説きて言く。「彼の國土の極妙の樂事を見れば心歡喜するが故に、時に應じて即ち無生法忍を得ん」と。此の一義云何が通釋せん。答て曰く。此の如きの義は、但是世尊前の別請に酬ひて、利益を擧勸したまへる方便の由序なり。何を以てか知ることを得る。次下の文の中に説きて言く。「諸佛如來に異の方便有まして、汝をして見ることを得しむ」と。次下の日想・水想・冰想、乃至十三觀已來を、盡く異の方便と名くるなり。衆生をして此の觀門に於て、一一に成ずることを得て彼の妙事を見て心歡喜するが故に、即ち無生を得しめんと欲す。斯れ乃ち直是如來末代を慈哀して擧勸して修することを勵まし、積學の者をして遺無く聖力冥に加して現益あらしめんと欲するが故なり。
證に曰く。掌に機糸を握ること十有三結、條條理に順じて、以て玄門に應じ訖んぬ。此の義周りて三び前證を呈す者なり。
上來七段の不同有りと雖も、總じて是文前の玄義なり。經論の相違妨難を料簡するに、一一に敎を引きて證明す。