全く比況に非ざることを明す。故に我「今樂生安樂國」と云ふ。 問て曰く。十方の諸佛は斷惑殊無し、行畢り果圓かなること、亦二無かるべし。何を以てか一種の淨土に、即ち斯の優劣有りや。答て曰く。佛は是法王、神通自在なり、優と劣と凡惑の知る所に非ず。隱・顯、機に隨ひて化益を存せんと望むに、或は故らに彼の優爲るを隱して、獨り西方の勝爲るを顯すべし。
七に「我今樂生彌陀」より已下は、正しく夫人別して所求を選ぶことを明す。此は彌陀の本國四十八願なることを明す。願願皆增上の勝因を發せり、因に依て勝行を起せり、行に依て勝果を感ず、果に依て勝報を感成せり、報に依て極樂を感成せり、樂に依て悲化を顯通す、悲化に依て智慧の門を顯開せり。然るに悲心無盡にして、智亦無窮なり。悲・智雙べ行じて、即ち廣く甘露を開けり。茲に因て法潤普く羣生を攝したまふ。諸餘の經典に勸むる處彌々多し。衆聖心を齊しくして、皆同じく指讚したまふ。此の因縁有りて、如來密に夫人を遺はして、別して選ばしめたまふことを致すなり。
八に「唯願世尊」より已下は、正しく夫人別行を請求することを明す。此れ韋提既に得生の處を選びて、還て別行を修して、己を勵まし心を注めて必ず往益を望むことを明す。「敎我思惟」と言ふは、即ち是定の前方便、彼の國の依正二報・四種莊嚴を思想し憶念するなり。「敎我正受」と言ふは、此れ前の思想漸漸微細にして、覺想倶に亡ずるに因て、唯定心のみ有りて前の境と合するを、名けて正受と爲ることを明す。此の中に略々已に料簡す。下の觀門に至りて、更に當に廣く辨ずべし。應に知るべし。
上來八句の不同有りと雖も、應に廣く欣淨の縁を明し竟んぬ。
[散善顯行縁]
六に散善顯行の縁の中に就て、即ち其の五有り。
一に「爾時世尊即便微笑」より下「成那含」に至る已來は、