剛強を化して同じく磨滅に歸せしむることを明す。故に「若佛滅後」と云ふ。「諸衆生」と言ふは、此れ如來化を息めたまはば、衆生歸依する處無し。蠢蠢周慞して、縱橫に六道に走ることを明す。「濁惡不善」と言ふは、此れ五濁を明す。一には劫濁、二には衆生濁、三には見濁、四には煩惱濁、五には命濁なり。劫濁と言ふは、然るに劫は實に是濁に非ず、劫減ずる時に當りて、諸惡加增するなり。衆生濁と言ふは、劫若し初めて成るときは、衆生純善なるも、劫若し末なる時は、衆生の十惡彌々盛なり。見濁と言ふは、自身の衆惡をば總じて變じて善と爲し、他の上の非無きをば見て是ならずと爲す。煩惱濁と言ふは、當今劫末の衆生、惡性にして親み難し。隨ひて六根に對するに、貪・瞋競ひ起るなり。命濁と言ふは、前の見・惱の二濁に由てか、多く殺害を行じて、慈みて恩養すること無し。既に斷命の苦因を行じ、長年の果を受けむと欲ふも、何に由てか得べき。然も濁は體是善に非ず。今略して五濁の義を指し竟んぬ。「五苦所逼」と言ふは、八苦の中に、生苦・老苦・病苦・死苦・愛別苦を取りて、此を五苦と名く。更に三苦を加ふれば即ち八苦と成る、一には五陰盛苦、二には求不得苦、三には怨憎會苦なり。總じて八苦と名く。此の五濁・五苦・八苦等は、六道に通じて受けて、未だ無き者は有らず、常に之に逼惱す。若し此の苦を受けざる者は、即ち凡數の攝に非ざるなり。「云何當見」と言ふ已下は、此れ夫人苦機を擧出して、此等の罪業極めて深くして、又佛を見たてまつらず、加備を蒙らず、云何が彼の國を見るべきといふことを明す。
上來七句の不同有りと雖も、廣く定善示觀の縁を明し竟んぬ。
初には證信序を明し、次には化前序を明し、後には發起序を明す。上來三序の不同有りと雖も、總じて序分を明し竟んぬ。