又一切の莊嚴、皆能く妙法を説くを聞くことを明す。既に此を見聞し已りて、恒に持ちて失すること莫きを、定心を守ると名く。
十一に「令與修多羅合」より下「見極樂世界」に至る已來は、觀の邪正の相を辨ず。
十二に「是爲」より下は總じて結す。
十三に「作是觀者」より下「得念佛三昧」に至る已來は、正しく剋念し修觀して、現に利益を蒙ることを明す。斯れ乃ち羣生障重くして、眞佛の觀階ひ難し。是を以て大聖哀を垂れて、且く心を形像に注めしめたまふ。
上來十三句の不同有りと雖も、廣く像觀を明し竟んぬ。
[九、眞身觀]
九に眞身觀の中に就て、亦先づ擧げ、次に辨じ、後に結す。即ち其の十二有り。
一に「佛告阿難」より下「身相光明」に至る已來は、正しく告命して前の像觀を結成して、後の眞身の觀を生ずることを明す。
二に「阿難當知」より下「金色」に至る已來は、正しく眞佛の身相天金の色に踰えたることを顯すことを明す。
三に「佛身高六十」より下「由旬」に至る已來は、正しく身量の大小を明す。
四に「眉間」より下「菩薩爲侍者」に至る已來は、正しく總じて身相を觀ずることを明す。即ち其の六有り。一には毫相の大小を明す。二には眼相の大小を明す。三には毛孔の光の大小を明す。四には圓光の大小を明す。五には化佛の多少を明す。六には侍者の多少を明す。
五に「無量壽佛」より「下攝取不捨」に至る已來は、正しく身の別相を觀ずるに、光有縁を益することを明す。即ち其の五有り。一には相の多少を明す。二には好の多少を明す。三には光の多少を明す。四には光照の遠近を明す。五には光の及ぶ所處偏に攝益を蒙ることを明す。 問て曰く。備に衆行を修して但能く廻向すれば、皆往生を得。何を以てか、佛光普く照らすに、唯念佛の者のみ攝するは、何の意か有るや。答て曰く。此に三義有り。一には親縁を明す。衆生起行して口に常に佛を稱すれば、