三輪開悟して、各々益すること同じからざるなり。二には或は大身を現じ、或は小身を現ずることを明す。三には身量大小有りと雖も、皆眞金の色を作すことを明す。此れ即ち其の邪正を定むるなり。
七に「所現之形」より已下は、正しく身は大小の殊有りと雖も、光相即ち眞と異なること無きことを明す。
八に「觀世音菩薩」より已下は、正しく指して前の觀に同ずることを明す。佛大なれば侍者亦大なり、佛小なれば侍者亦小なり。
九に「衆生但觀首相」より已下は、正しく勸めて二別なることを觀ぜしむることを明す。云何が二別なる。觀音の頭首の上には、一の立ちたまへる化佛有ます。勢志の頭首の上には、一の寶缾有り。
十に「此二菩薩」より已下は、正しく彌陀・觀音・勢志、等しく宿願の縁重く、誓同じく惡を捨て、等しく菩提に至るまで、影響の如く相隨ひ、遊方化益することを明す。
十一に「是爲」より下は總じて結す。
上來十一句の不同有りと雖も、廣く雜想觀を解し竟んぬ。
[結讚]
上日觀より下雜想觀に至る已來は、總じて世尊前の韋提の第四の請に「敎我思惟正受」と云へる兩句に答ふることを明す。
總じて讚じて云く。初に日觀を敎へて昏闇を除かしめ、水を想じて冰と成じて内心を淨む。地下の金幢相映發し、地上の莊嚴億萬重なり。寶雲・寶盇空に臨みて轉じ、人天の音樂互に相尋げり。寶樹瓔を垂れて菓に間雜し、池德水を流して華の中に注ぐ。寶樓・寶閣皆相接し、光光相照らして等しく蔭無し。三華獨り迥に衆座に超え、四幢縵を承けて綱珠羅れり。稟識心に迷ひて由未だ曉らず、心を住し像を觀じて靜かに彼に坐す。一念心開きて眞佛を見たてまつる、身光相好轉た彌々多し。救苦の觀音法界を縁ず、時として變じて娑婆に入らずといふこと無し。勢志の威光能く震動し、縁に隨ひて照攝して彌陀に會す。歸去來、極樂は身を安ずるに實に是精なり。