但一切の生命に於て慈心を起すは、即ち是一切衆生に壽命安樂を施すなり。亦是最上勝玅の戒なり。此れ即ち上の初福の第三句に、「慈心不殺」と云へるに合す。即ち止と行との二善有り。自ら殺せざるが故に止善と名く、他を敎へて殺せざらしむるが故に行善と名く。自他初めて斷ずるを止善と名く、畢竟じて永く除くを行善と名く。止・持の二善有りと雖も、總じて慈下の行を結成す。「具諸戒行」と言ふは、若し人天・二乘の器に約せば、即ち小戒と名く。若し大心大行の人に約せば、即ち菩薩戒と名く。此の戒若し位を以て約せば、此れ上輩三の位の者に當れり、即ち菩薩戒と名く。正しく人位定れるに由るが故に、自然に轉成す。即ち上の第二福の戒分の善根に合す。二に「讀誦大乘」を明さば、此れ衆生の性習不同にして、法を執ずること各々異なることを明す。前の第一の人は、但慈を修し戒を持つを用て能と爲す。次に第二の人は、唯讀誦大乘を將て是と爲す。然るに戒は即ち能く五乘・三佛の機を持つ。法は即ち三賢・十地萬行の智慧を薰成す。若し德用を以て來し比校せば、各々一の能有り。即ち上の第三福の第三の句に「讀誦大乘」と云へるに合す。三に「修行六念」を明さば、所謂佛・法・僧を念じ、戒・捨・天等を念ず。此れ亦通じて上の第三福の大乘の意義に合す。念佛と言ふは即ち專ら阿彌陀佛の口業功德、身業功德、意業功德を念ずるなり。一切の諸佛も亦是の如し。又一心に專ら諸佛所證の法、并びに諸の眷屬の菩薩僧を念じ、又諸佛の戒を念じ、及び過去の諸佛、現在の菩薩等の、作し難きを能く作し、捨て難きを能く捨て、内に捨て外に捨て、内外に捨つるを念ず。此等の菩薩但法を念ぜんと欲して身財を惜しまず。行者等既に此の事を念知せば、即ち須く常に作して仰いで前賢・後聖の身命を捨つるの意を學ぶべし。又念天とは即是最後身十地の菩薩なり。