難思議往生樂 雙樹林下往生樂 難思往生樂
衆等心を傾けて樂ひて法を聞き往生樂 手に香華を執りて常に供養したてまつれ往生樂
難思議往生樂 雙樹林下往生樂 難思往生樂
道場の大衆裏相與に至心に敬禮し 常住の佛に南無したてまつる。
道場の大衆裏相與に至心に敬禮し 常住の法に南無したてまつる。
道場の大衆裏相與に至心に敬禮し 常住の僧に南無したてまつる。
敬ひて白す。道場の衆等、各各に心を斂めて、彈指合掌し、叩頭して本師釋迦佛、過・現・未來の諸の世尊を歸命し禮したてまつる。佛に歸依したてまつる所以は、佛は是衆生の大慈悲の父、亦是出世增上の良縁なればなり。其の恩德を計みれば塵劫を過ぎて之を述べんに盡くし難し。『賢愚經』(卷一意)に言く。「一一の諸佛、初發意より終菩提に至るまで、專心に法を求めて身財を顧みず、悲智雙行して曾て退念無し」と。或は人の逼め試むるに逢ひて、皮肉分張を可し、或は自ら身を割きて而も鴿の命を延べ、或は千頭を捨てて以て法を求む。或は千の釘を釘ちて而も四句を求め、或は身血を刺して以て夜叉を濟ひ、或は妻子を捨てて以て羅刹に充つ。或は慈悲方便を設けて化して禽魚と作りて、用て蒼生を濟ひて其の飢難を免れしむ。或は金毛の師子と作りて以て獵師に上さげ、或は白象と作りて牙を抽き菩提を求むるものの爲に奉施す。或は怨家を觀ること由赤子の如く、或は外道を現ること比へば親兒の如し。彼我殊なること無し、聖凡何ぞ異ならん。三祇の起行皆無漏と相應す。地地に功を收めて、始めて果圓かなることを得るを佛と號す。身は則ち閻浮金光色、