或は一心に彼の佛の神咒を念ずること一遍すれば、能く四重・五逆を滅し、七遍すれば能く根本の罪を滅す。出『儀軌』 或は復『心地觀經』(卷三)に、理の懺悔を明かして云く。「一切の諸の罪は性皆如なり。顛倒の因縁妄心より起る。是の如き罪相は本來空なり、三世の中に得る所无し。内に非ず外に非ず中間に非ず、性相如如にして倶に不動なり。眞如の妙理は名言を絶つ、唯聖智のみ有りて、能く通達す。有に非ず无に非ず、有无に非ず、有无ならざるにも非ず、名相を離れ法界に周遍して生滅无く、諸佛は本來同一軆なり。唯し願はくは諸佛加護を垂れて、能く一切顛倒の心を滅したまへ。願はくは我早く眞性の源を悟りて、速に如來の无上道を證せん」と。 問。眞に佛を觀念するに、既に能く罪を滅す。何が故ぞ更に理の懺悔を修するや。答。誰か言ふ一一に之を修せよと。但意樂に隨ふべし。何に況や衆の罪性は空にして所有无しと觀るは、即ち是眞實の念佛三昧なり。『華嚴』(唐譯卷一六)の偈に云ふが如し。「現在は和合に非ず、未來も亦復然なり。一切の法の无相なる、是即ち佛の眞躰なり」と。『佛藏經』(卷上意)の念佛品に云く。「所有无しと見るを名けて念佛と爲し、諸法の實相を見るを名けて念佛と爲す。分別有ること无く、取无く捨无き、是眞に念佛なり」と。已上 諸餘の空无相等の觀も之に准じて皆應に念佛三昧に攝入す。 問。是の如きの懺悔は何なる勝德か有る。答。『心地觀經』(卷三)の偈に云く。「在家は能く煩惱の因を招き、出家も亦淸淨の戒を破す。若し能く法の如く懺悔する者は、所有煩惱悉く皆除こる。乃至 懺悔は能く三界の獄を出で、懺悔は能く菩提の花を開き、懺悔は能く佛の大圓鏡を見、懺悔は能く寶所に至る」と。 問。此の中に何者をか最勝なりと爲るや。答。若し一人に約すれば機に順ずるを勝と爲し、若し汎爾に判ずれば理懺を勝と爲す。故に『如來祕密藏經』の下卷に、佛迦葉に告げて言はく。「若し少しき不善も、若し其れ堅住し堅執し堅着すれば、