当に意を発すべし、と。已上
 11(如来会)また言わく、かくのごときらの類は、大威徳の者なり。よく広大仏法異門に生ぜんと。已上
 12また言わく、如来の功徳は仏のみ自ら知ろしめせり。ただ世尊ましましてよく開示したまう。天・龍・夜叉及ばざるところなり。二乗自ずから名言を絶つ。もしもろもろの有情まさに作仏して、行普賢に超え彼岸に登って、一仏の功徳を敷衍せん時、多劫の不思議を逾えん。この中間において身は滅度すとも、仏の勝慧はよく量ることなけん。このゆえに信聞およびもろもろの善友の摂受を具足して、かくのごときの深妙の法を聞くことを得ば、当にもろもろの聖尊に重愛せらるることを獲べし。如来の勝智、遍虚空の所説義言は、ただ仏のみ悟りたまえり。このゆえに博く諸智土を聞きて、我が教如実の言を信ずべし。人趣の身得ることははなはだ難し、如来の出世遇うことまた難し、信慧多き時方にいまし獲ん。このゆえに修せん者、精進すべし。かくのごときの妙法すでに聴聞せば、常に諸仏をして喜びを生ぜしめたてまつるなりと。抄出
 13『論の註』に曰わく、「かの如来の名を称し、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲うがゆえに」といえりと。「称彼如来名」とは、いわく無碍光如来の名を称するなり。「如彼如来光明智相」とは、仏の光明はこれ智慧の相なり。この光明、十方世界を照らすに障碍あることなし。よく十方衆生の無明の黒闇を除く。日月珠光のただ室穴の中の闇を破するがごときにはあらざるなり。14「如彼名義欲如実修行相応」とは、かの無碍光如来の名号よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう、しかるに称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実のごとく修行せざると、