すなわち心行寂滅なり。権に通ずれば、すなわち備に衆機に省くの智なり。備に応じて無知なり。寂滅の慧、また無知にして備に省く。しかればすなわち智慧と方便と相縁じて動じ、相縁じて静なり。動、静を失せざることは智慧の功なり。静、動を廃せざることは方便の力なり。このゆえに智慧と慈悲と方便と、般若を摂取す。般若、方便を摂取す。「知るべし」とは、謂わく智慧と方便は、これ菩薩の父母なり。もし智慧と方便とに依らずは、菩薩の法則、成就せざることを知るべし。何をもってのゆえに。もし智慧なくして衆生のためにする時んば、すなわち顛倒に堕せん。もし方便なくして法性を観ずる時んば、すなわち実際を証せん。このゆえに知るべし、と。「さきに遠離我心貪着自身・遠離無安衆生心・遠離供養恭敬自身心を説きつ。この三種の法は障菩提心を遠離するなりと、知るべし」(論)とのたまえり。諸法におのおの障碍の相あり。風はよく静を障う。土はよく水を障う。湿はよく火を障う。五黒・十悪は人天を障う。四顛倒は声聞の果を障うるがごとし。この中の三種は、菩提を障うる心を遠離せずと。「知るべし」とは、もし無障を得んと欲わば、当にこの三種の障碍を遠離すべしとなり。「さきに無染清浄心・安清浄心・楽清浄心を説きつ。この三種の心は略して一処にして妙楽勝真心を成就したまえりと、知るべし」(論)とのたまえり。楽に三種あり。一つには外楽、謂わく五識所生の楽なり。二つには内楽、謂わく初禅・二禅・三禅の意識所生の楽なり。三つには法楽五角の反魯各の反、謂わく智慧所生の楽なり。この智慧所生の楽は、仏の功徳を愛するより起これり。これは遠離我心と、遠離無安衆生心と、遠離自供養心と、この三種の心、清浄に増進して、略して妙楽勝真心とす。妙の言はそれ好なり。この楽は仏を縁じて生ずるをもってのゆえに。勝の言は三界の中の楽に勝出せり。真の言は