るなり。これすなわち専の中の専、頓の中の頓、真の中の真、乗の中の一乗なり、これすなわち真宗なり。すでに「真実行」の中に顕し畢りぬ。51それ雑行・雑修、その言一つにしてその意これ異なり。「雑」の言において、万行を摂入す。五正行に対して、五種の雑行あり。「雑」の言は、人天・菩薩等の解行雑せるがゆえに「雑」と曰えり。本より往生の因種にあらず、回心回向の善なり、かるがゆえに「浄土の雑行」と曰うなり。また「雑行」について、専行あり専心あり、また雑行あり雑心あり。「専行」とは、専ら一善を修す、かるがゆえに「専行」と曰う。「専心」とは、回向を専らにするがゆえに「専心」と曰えり。「雑行・雑心」とは、諸善兼行するがゆえに「雑行」と曰う、定散心雑するがゆえに「雑心」と曰うなり。52また「正・助」について、専修あり雑修あり。この雑修について、専心あり雑心あり。「専修」について二種あり、一つにはただ仏名を称す、二つには五専あり。この「行業」について専心あり雑心あり。「五専」とは、一つには専礼、二つには専読、三つには
頓中之頓、真中之真、乗中之一乗、斯乃真宗也。已顕真実行之中畢。夫雑行・雑修、其言一而其意惟異、於雑之言、摂入万行。対五正行、有五種雑行。雑言人・天・菩薩等解行雑故曰雑。自本非往生因種、回心回向之善、故曰浄土之雑行也。復就雑行、有専行有専心、復有雑行有雑心。専行者専修一善、故曰専行。専心者専回向故曰専心。雑行雑心者諸善兼行故曰雑行、定散心雑故曰雑心也。亦就正助、有専修有雑修。就此雑修、有専心有雑心。就専修有二種、一者唯称仏名、二者有五専。就此行業、有専心有雑心。五専者一専礼、二専読、三専観、四専称、五専讃嘆、