p724 / 本願寺聖人伝絵(御伝鈔)

本願寺聖人伝絵 上本 (御伝鈔)

 それ、聖人の俗姓は藤原氏、天児屋根尊二十一世の苗裔、大織冠 鎌子内大臣 の玄孫、近衛大将右大臣 贈左大臣 従一位内麿公 号後長岡大臣、或号閑院大臣、贈正一位太政大臣房前公孫、大納言式部卿真楯息 六代の後胤、弼宰相有国卿五代の孫、皇太后宮大進有範の子なり。しかあれば朝廷に仕えて霜雪をも戴き、射山に趨って、栄花をも発くべかりし人なれども、興法の因うちに萌し、利生の縁ほかに催いしによりて、九歳の春の比、阿伯従三位範綱卿 干時、従四位上前若狭守、後白河上皇近臣、聖人養父 前大僧正 慈円、慈鎮和尚是也、法性寺殿御息、月輪殿長兄 の貴房へ相具したてまつりて、鬢髪を剃除したまいき。範宴少納言公と号す。自爾以来、しばしば南岳天台の玄風をとぶらいて、ひろく三観仏乗の理を達し、とこしなえに楞厳横河の余流をたたえて、ふかく四教円融の義に明らかなり。
    (絵)
 建仁第三の暦春のころ 聖人二十九歳 隠遁のこころざしにひかれて、源空聖人の吉水の禅房に尋ね参りたまいき。是すなわち、世くだり人つたなくして、難行の小路まよいやすきによりて、易行の大道におもむかんとなり。真宗紹隆の大祖聖人、ことに宗の淵源をつくし、教の理致をきわめて、これをのべ給うに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽まで、凡夫直入の真心を決定し、ましましけり。