(絵)
 建仁三年 辛酉 四月五日夜寅時、聖人夢想の告ましましき。彼の『記』にいわく、六角堂の救世菩薩、顔容端厳の聖僧の形を示現して、白衲の袈裟を着服せしめ、広大の白蓮華に端坐して、善信に告命してのたまわく、「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」。救世菩薩、善信にのたまわく、「此は是我が誓願なり、善信この誓願の旨趣を宣説して、一切群生にきかしむべし」と云々 爾時、夢中にありながら、御堂の正面にして、東方をみれば峨峨たる岳山あり、その高山に数千万億の有情群集せりとみゆ。そのとき告命のごとく、此の文のこころを、かの山にあつまれる有情に対して、説ききかしめおわるとおぼえて、夢悟おわりぬと云々 倩此の記録を披きて彼の夢想を案ずるに、ひとえに真宗繁昌の奇瑞、念仏弘興の表示なり。しかれば聖人、後の時おおせられてのたまわく、仏教むかし西天より興りて、経論いま東土に伝わる。是偏に上宮太子の広徳、山よりもたかく海よりもふかし。吾朝、欽明天皇の御宇に、これをわたされしによりて、すなわち浄土の正依経論等、此の時に来至す。儲君もし厚恩をほどこしたまわずは、凡愚いかでか弘誓にあうことを得ん。救世菩薩はすなわち儲君の本地なれば、垂迹興法の願をあらわさんがために、本地の尊容をしめすところなり。そもそもまた、大師聖人 源空 もし流刑に処せられたまわずは、われまた配所に赴かんや、もしわれ配所におもむかずは、何によりてか辺鄙の群類を化せん、これ猶師教の恩致なり。大師聖人すなわち勢至の化身、太子また観音の垂迹なり。このゆえにわれ二菩薩の引導に順じて如来の本願をひろむるにあり。真宗茲によって興じ、念仏斯によって煽なり。是しかしながら聖者の教誨によりて、更に愚昧