300 一 仏法には、万事、かなしきにも、かなわぬにつけても、何事に付けても、後生のたすかるべきことを思えよ。よろこびたきは、仏恩なりと云々

301 一 仏法者になれ近付きて、損は一つもなし。何たるおかしきこと・狂言にも、是非とも、心底には仏法あるべしと、思うほどに、わがかたに徳多きなりと云々

302 一 蓮如上人、大権化の再誕、ということ、その証多し。前にこれをしるせり。御詠歌に、「かたみには 六字の御名をのこしおく なからんあとの かたみともなれ」と、候う。弥陀の化身としられ候う事、歴然と云々

303 一 蓮如上人、細々、御兄弟衆等に、御足を御みせ候う。御わらじの緒、くい入り、きらりと御入り候う。「かように、京・田舎、御自身は、御辛労候いて、仏法を仰せひらかれ候う」由、仰せられ候いしと云々

304 一 同じく仰せに云わく、「悪人のまねをすべきより、信心決定の人のまねをせよ」と、仰せられ候う云々

305 一 蓮如上人、御病中、大坂殿より御上洛の時、明応八、二月十八日、さんばの浄賢(の)処にて、前住上人へ対し、御申しなされ候う。「御一流の肝要をば、『御文』に委しくあそばしとどめられ候うあいだ、今は、申しまぎらかす者も、あるまじく候う。此の分を、よくよく、御心得ありて、御門徒中へも、仰せつけられ候え」と、御遺言の由に候う。しかれば、前住上人の御安心も、『御文』のごとく、また、諸国の御門徒も、『御文』のごとく、信をえられよとの支証のために、御判をなされ候う事と云々

306 一 存覚は、大勢至の化身なりと云々 しかるに、『六要抄』には、あるいは「三心」の字訓そのほか、