「勘得せず」と、あそばし、「聖人の宏才、仰ぐべし」と、候う。権化にて候えども、聖人の御作分を、かくのごとくあそばし候う。誠に、聖意はかりがたきむねをあらわし、自力をすてて他力を仰ぐ御本意にも、叶い申し候うものをや。かようのことが、明誉にて御入り候うと云々

307 一 註を御あらわし候う事、御自身の智解を御あらわし候わんがためにては、なく候う。御ことばを褒美のため、仰崇のためにて候うと云々

308 一 存覚御辞世の御詠に云わく、「今ははや 一夜の夢と なりにけり ゆききあまたの かりのやどやど」此の言を、蓮如上人、仰せられ候うと云々 「さては、釈迦の化身なり。往来娑婆の心なり」と云々 「我が身にかけてこころえば、六道輪回、めぐりめぐりて、今、臨終の夕べ、さとりをひらくべし、という心なり」と云々

309 一 陽気・陰気とてあり。されば、陽気をうくる花は、はやくひらくなり。陰気とて、日陰の花は、おそくさくなり。かように、宿善も遅速あり。されば、已今当の往生あり。弥陀の光明にあいて、はやくひらくる人もあり。遅くひらくる人もあり。とにかくに、信・不信、ともに、仏法を心に入れて、聴聞申すべきなりと云々 已今当の事、前々住上人、仰せられ候うと云々 「きのうあらわす人もあり。きょうあらわす人もあり。あすあらわす人もあり」と、仰せられしと云々

310 一 蓮如上人、御廊下を御とおり候いて、紙切のおちて候いつるを、御覧ぜられ、「仏法領の物を、あだにするかや」と、仰せられ、両の御手にて、御いただき候うと云々 総じて、かみきれなんどのようなる物をも、