御用と、仏物と思し召し候えば、あだに御沙汰なく候いしの由、前住上人、御物語候いき。

311 一 蓮如上人、近年、仰せられ候うことに候う、「御病中に仰せられ候う事、何ごとも金言なり。心をとめてきくべし」と、仰せられ候うと云々

312 一 御病中に、慶聞をめして、仰せられ候う。「御身には不思議なることあるを、気をとりなおして、仰せらるべき」と、仰せられ候うと云々

313 一 蓮如上人、仰せられ候う。「世間・仏法、ともに、人は、かろがろとしたるが、よき」と、仰せられ候う。黙したるものを、御きらい候う。「物を申さぬが、わろき」と、仰せられ候う。また、微言に物を申すを、「わろし」と、仰せられ候うと云々

314 一 同じく仰せに云わく、「仏法と世体とは、たしなみによる」と、対句に仰せられ候う。また、「法門と庭の松とは、いうにあがる」と、これも対句に仰せられ候うと云々

315 一 兼縁、堺にて、蓮如上人御存生の時、背摺布を買得ありければ、蓮如上人、仰せられ候う。「かようの物は、我が方にもあるものを。無用のかいごとよ」と、仰せられ候う。兼縁、「自物にてとり申したる」と、答え御申し候う処に、仰せられ候う。「それは、我が物か」と、仰せられ候う。ことごとく、仏物、如来・聖人の御用にもるることは、あるまじく候う。

316 一 蓮如上人、兼縁へ、物を下され候うを、「冥加なき」と、固辞そうらいければ、仰せられ候う。「つかわされ候う物をば、ただ、取りて、信を、よくとれ。信なくは、冥加なきとて、仏物を受けぬようなれども、それは、