「勝過三界道」、道は通なり。此の如きの因を以て、此の如きの果を得しむ、此の如きの果を以て、此の如きの因を酬ふ。因に通じて果に至る、果に通じて因を酬ふ、故へに名て道と爲す。三界は、一には是れ欲界、所謂六欲天、四天下の人・畜生・餓鬼・地獄等是なり。二には是色界、所謂初禪・二禪・三禪・四禪の天等是なり。三には是无色界、所謂空處・識處・无所有處・非想非非想處の天等是なり。此の三界はけだし是れ生死の凡夫流轉の闇宅なり。復苦樂小しき殊に修短暫く異なりと謂も統て之を觀ずるに有漏に非ることなし。倚伏し相乘して、循環際无し、雜生觸受し四倒長く拘わる。且の因且の果、虚僞相ひ襲ふ。安樂は是れ菩薩の慈悲正觀の由より生なり、如來の神力本願の所建なり。胎・卵・濕の生茲に縁て高く揖め業繋の長き維此從永く斷つ。續括の權、勸めを待たずして弓を彎く。勞謙善讓普賢に齊しくして德を同じくす。三界に勝過して是近き言を抑ふ。
究竟如虚空 廣大无邊際
此の二句は莊嚴量功德成就と名く。佛本此の莊嚴量功德を起したまふ所以は、三界を見そなはすに 戸甲反 小墮 敗城阜式垂反 陘 小絶坎形音 陪 重土重曰備文才反 陼 如渚者陼丘之與反 にして或は宮觀迫 伯音 迮 子格反 なり或は土田逼隘  或は志求路促まり、或は山河隔 塞公厄反 ち鄣ふ、或いは國界分部せり。此の如き等の種種の擧急の事有り。是の故に菩薩此の莊嚴量功德の願を興したまへり、願は我が國土虚空の如く廣大无際ならんと。「如虚空」は、言ふこころは來生の者の衆しと雖も猶无きが若くならんとなり。「廣大无際」は、上の如虚空の義を成ず。何が故ぞ虚空の如しといふ、廣大にして際无きを以ての故に。