是の心作佛す、是の心是れ佛なり。諸佛正遍知海は心想より生ず」。是の義云何ぞや。答曰。身を集成と名く、界を事別と名く。眼界の如きは根・色・空・明・作意の五の因縁を縁じて生ずるを名けて眼界と爲す。是れ眼但自から己れが縁を行じて他縁を行ぜず。事別なるを以ての故に。耳・鼻等の界も亦是の如し。諸佛如來是法界身と言ふは、法界は是れ衆生の心法なり。心能く世間・出世間の一切諸法を生ずるを以ての故に、心を名けて法界と爲す。法界能く諸の如來の相好の身を生ず。亦色等の能く眼識を生ずるが如し。是の故に佛身を法界身と名く。是の身、他の縁を行ぜず。是の故に一切衆生心想の中に入るとなり。心に佛を想ふ時是の心即是三十二相八十隨形好といふは、當に衆生の心に佛想ふ時、佛身相好衆生の心中に顯現するなり。譬ば水淸ければ則ち色像現ず、水と像と一ならず異ならざるが如し。故に佛の相好の身即ち是心想と言へるなり。是心作佛といふは、心能く作佛すと言ふなり。是心是佛といふは、心の外に佛ましまさざるなり。譬ば火は木より出でて火、木を離れ得ざるなり、木を離れざるを以ての故に則ち能く木を燒く、木火と為る、木を焼いて即ち火となるが如しと。諸佛正遍知海は心想より生ずといふは、正遍知は眞なり正なり、法界の如くにして知るなり。法界无相なるが故に諸佛无知なり。无知を以ての故に知らざること无きなり。无知にして知なるは是れ正遍知なり。是に知んぬ深廣にして測量すべからず、故に海に譬るなり。
如來微妙聲 梵響聞十方
此の二句は莊嚴口業功德成就と名く。佛本何が故ぞ此の莊嚴を興したまへると。有る如來の名の尊からざるに似る、外道人を軵 推車人家反 人、瞿曇姓と稱するが如し、道を成ずに聲なを曰ふに唯梵天を徹すを見す。是の故に願じて言たまはく。我れ成佛せむに妙聲遐かに布きて聞かむ者の忍を悟らしめむと。