上の如く種種の義有るが故ならくのみと。
安樂國淸淨 常轉无垢輪 化佛菩薩日 如須彌住持
佛本と何が故ぞ此の莊嚴を起したまふと。有る佛土を見そなはすに但是れ小菩薩のみにして十方世界に於て廣く佛事をなすこと能はず。或は但聲聞・人・天の利する所狹小なり。是の故に願を興したまふ。願は我國の中には无量の大菩薩衆有て、本處を動ぜずして遍く十方に至て種種に應化して實の如く修行して常に佛事をなさむ。譬ば日の天上に在りて影百川に現ずるが如し。日豈に來らむや、豈に來ざらむや。『大集經』(卷一一意)に言たまふが如し。譬ば人有て善く堤塘を治して其の所宜を量りて水を放つ時に及で心力を加へざるが如し。菩薩も亦是の如し。先づ一切諸佛及衆生、供養に應じ敎化に應ずる種種の堤塘を治すれば、三昧に入るに及で身心動ぜざれども、實の如く修行して常に佛事をなす。如實修行は、常に修行すと雖も實に修行する所无きなり。是の故に「安樂國淸淨常轉无垢輪化佛菩薩日如須彌住持」と言たまへり。
无垢莊嚴光、一念及一時 普照諸佛會 利益諸群生
佛本何が故ぞ此の莊嚴を起したまふと。有る如來の眷屬を見そなはすに、他方无量の諸佛を供養せむと欲ひ、或は无量の衆生を敎化せむと欲ふ。此に沒して彼に出づ、南を先にし北を後にす。一念一時を以て光を放ちて普く照すこと能はず。遍く十方世界に至て衆生を敎化すること出沒前後の相有るが故に。是の故に願を興したまへり。願は我が佛土の諸大菩薩、一念の時の頃に於て遍く十方に至て種種の佛事をなす。是の故に「无垢莊嚴光一念及一時普照諸佛會利益諸群生」と言たまへり。 問曰。