「及一句次第」とは、謂く器淨等を觀ずるなり。惣別の十七句は、觀行の次第なり。云何が次を起す、建めの章に「歸命无碍光如來願生安樂國」と言たまへり。此の中に疑有り、疑て言ふこころは、生は有の本、衆累の元爲たり、生を棄てて生を願ず、生何ぞ盡くべきや。此の疑を釋せむ爲に、是の故に彼の淨土の莊嚴功德成就を觀ず。明らけし、彼の淨土は是れ阿彌陀如來の淸淨本願の无生の生なり、三有虚妄の生の如きにはあらざるなり。何を以て之を言ふとならば、夫れ法性淸淨にして畢竟无生なり。生と言ふは是れ得生の者の情なるべくのみと。生苟に无生なり、生何ぞ盡る所あらむ、夫れ生を盡さば上は无爲・能爲の身を失し、下は三空・不空の痼
廢也病也工路反 に
醉亡善反 いなん。根敗永く亡じて三千を號み振う、无反无復斯に於して恥を招く。躰夫れ理より生ず、之を淨土と謂ふ、淨土の宅は所謂十七句是なり。十七句の中に惣別二と爲す。初の句は是れ惣相なり、所謂是れ淸淨佛土、三界の道に過たりといへり。彼三界に過といふに何なる相か有ると、下の十六種の莊嚴功德成就の相是れなり。一には量、究竟して虚空の如し、廣大にして邊際无きが故に。既に量を知ぬ、此の量何を以てか本と爲する、是の故に性を觀よ。性は是れ本の義なり、彼の淨土は正道の大慈悲出世の善根より生ぜり、既に出世善根と言へり、此の善根は何等の相をか生ぜる、是の故に次に莊嚴形相を觀よ。既に形相を知ぬ、宜く形相は何等の躰と知るべし。是の故に次に種種の事を觀よ。既に種種の事を知ぬ、宜しく種種の事の妙色を知るべし、是の故に次に妙色を觀ぜよ、既に妙色を知りぬ、此の色何づれの觸か有る、是の故に次に觸を觀ぜよ。既に身の觸を知りぬ、應に眼觸を知るべし、是の故に次に水・地・虚空の莊嚴の三事を觀ぜよ。既に眼觸を知りぬ、應に鼻觸を知るべし、是の故に次に衣・花・香の薰を觀ぜよ。既に眼・鼻等の觸を知ぬ、須く染を離るることを知るべし。是の故に次に佛慧の明かに照すを觀ぜよ。