既に惠光の淨力を知ぬ、宣く聲名の遠近を知るべし、是の故に次に梵聲の遠く聞くことを觀ぜよ。既に聲名を知ぬ、宜く誰か增上と爲することを知るべし。是の故に次に主を觀ぜよ、既に主有るを知ぬ、誰か主の眷屬と爲ると、是の故に次に眷屬を觀ぜよ。既に眷屬を知ぬ、宜く此の眷屬は若爲が受用することを知るべし、是の故に次に受用を觀ぜよ。既に受用を知ぬ、宜く此の受用の有難・无難を知るべし、是の故に次に无諸難を觀ぜよ。既に无諸難を知ぬ、何の義を以ての故に諸難无き、是の故に次に大義門を觀ぜよ。既に大義門を知ぬ、宜く大義門の滿・不滿を知るべし、是の故に次に所求滿足を觀ぜよ。復次に此の十七句は但疑を釋するに非ず、此の十七種の莊嚴成就を觀ずれば、能く眞實の淨信を生じて、必定して彼の安樂佛土に生を得となり。 問曰。上に生は无生と知ると言ふは、當に是これ上品生の者なるべし。若し下下品の人の十念に乘じて往生するは、豈に實の生を取るに非ずや。但實の生を取るは即ち二執に墮しなむ。一には、恐くは往生を得ざらむこと、二には恐くは更に生の惑ひを生ぜむをや。答。譬ば淨摩尼珠を之を濁水に置けば水即ち淸淨なるが如し。若し人无量生死の罪濁に有りと雖も、彼の阿彌陀如來の至極无生淸淨の寶珠の名号を聞きて之を濁心に投ぐれば、念々の中に罪滅し心淨して即ち往生を得。又淨摩尼珠を玄黄の幣を以てむで之を水に投ば、水即ち玄黄にして一ら物の色の如くなるが如し。彼の淸淨佛土に阿彌陀如來无上の寶珠有します、无量莊嚴功德成就の帛を以てで之を所往生の者の心水に投ぐれば、豈に生見を轉じて无生の智と爲すこと能はざらんや。又氷上に火を燃くに、火猛ければ則ち氷解く、氷解れば則ち火滅するが如し。彼の下品人、法性无生を知らずと雖も、但佛名を稱する力を以て往生の意を作して彼の土に生ぜんと願ずるに、彼の土是れ无生の界なれば、見生の火自然に滅するなり。