是の如き等の衆生阿彌陀如來の相好光明の身を見たてまつれば、上の如きの種種の身業繋縛皆解脱を得、如來の家に入て畢竟じて平等の身業を得。衆生は憍慢を以ての故に正法を誹謗し賢聖を毀呰し尊長 尊者君父師也長者有德之人及兄黨也 を捐斤す。是の如き人、拔舌の苦・瘖瘂の苦・言敎不行の苦・无名聞の苦を受くべし。是の如き等の種種の諸苦の衆生、阿彌陀如來の至德の名号説法の音聲を聞けば、上の如きの種種の口業繋縛皆解脱を得て、如來の家に入て、畢竟じて平等の口業を得。衆生邪見を以ての故に心に分別を生ず。若しは有、若しは无、若しは非、若しは是、若しは好、若しは醜、若しは善、若しは惡、若しは彼、もしは此、是の如き等の種種の分別有り。分別を以ての故に長く三有に淪で、種種の分別の苦・取捨の苦を受けて、長く大夜に寢ねて出る期有ること无し。是の衆生若し阿彌陀如來の平等の光照に遇ひ、若しは阿彌陀如來の平等意業を聞ば、是等の衆生上の如きの種種の意業の繋縛皆解脱を得て如來の家に入て畢竟じて平等の意業を得るなり。 問曰。心は是覺知の相なり、云何ぞ地・水・火・風に同じく分別无きことを得べきや。答曰。心は知の相なりと雖も實相に入れば則ち无知なり。譬ば虵の性は曲と雖も竹の筒に入れば則ち直きが如し。又人の身の若し針の刺し若し蜂の螫 式欠反 すには則ち覺知有り、若し石の蛭 之一反 の噉み若し甘刀の割くに則ち覺知无きが如し。是の如き等の有知・无知は因縁に在り、若し因縁に在るは則ち知に非ず、无知に非ざるなり。 問曰。心實相に入ば知无からしむべし。云何が一切種智有ることを得むや。答曰。凡心は知有ば則ち知ならざる所有り、聖心は无知なるが故に知らざる所无し。无知にして知なり、知即ち无知なり。 問曰。既に无知なるが故に知らざること所として无し、若し所として知らざること言はば、豈に是れ種種の法を知るにあらずや。