衆生躰とは、此の分の中に二重有り。一には觀佛、二には觀菩薩なり。觀佛といふは、
云何が佛の莊嚴功德成就を觀ずる、觀佛莊嚴功德成就は、八種有り、知るべしと。
此の觀の義は已に前の偈に彰せり。
何等か八種。一には莊嚴座功德成就、二には莊嚴身業功德成就、三には莊嚴口業功德成就、四には莊嚴心業功德成就、五には莊嚴衆功德成就、六には莊嚴上首功德成就、七には莊嚴主功德成就、八には莊嚴不虚作住持功德成就なり。何に者をか莊嚴座功德成就。偈に无量大寶王微妙淨花臺と言へるが故にと。
若し座を觀むと欲はば當に『觀无量壽經』に依るべし。
何者か莊嚴身業功德成就、偈に相好光一尋色像超群生と言ふが故にと。
若し佛身を觀むと欲はば當に『觀无量壽經』に依るべし。
何者か莊嚴口業功德成就、偈に如來微妙聲梵響聞十方と言ふが故にと。 何者か莊嚴心業功德成就、偈に同地水火風虚空无分別と言ふが故にと。无分別とは分別の心無きが故にと。
凡夫の衆生は、身口意の三業をして以て罪を造て、三界に輪轉して窮まりやむこと有ること无けむ。是の故に諸佛・菩薩、身口意の三業を莊嚴して用て衆生の虚誑の三業を治するなり。云何が用て衆生を治すといふは、身見を以ての故に三塗の身・卑賤の身・醜陋の身・八難の身・流轉の身を受く。