問て曰く。八法を具せずとも、佛前に生じ佛を離れざることを得るや不や。答て曰く。生ずることを得ること疑はず。何を以てか知ることを得。佛『寶雲經』を説きたまひし時の如き、亦十行具足して淨土に生ずることを得て常に佛を離れざることを明かしたまへり。時に除盇障菩薩有りて佛に白さく「十行を具せずして生ずることを得るや不や。佛言はく。生ずることを得。但能く十行の中に一行具足して闕くること無ければ、餘の九行をば悉く淸淨と名く。疑を致すこと勿れ」(卷六意)と。又『大樹緊那羅王經』(卷一意)に云く。「菩薩は四種の法を行じて常に佛前を離れず。何等をか四と爲す。一には自ら善法を修し兼ねて衆生を勸めて皆往生して如來を見たてまつる意を作さしむ。二には自ら勸め他を勸めて正法を聞くことを樂はしむ。三には自ら勸め他を勸めて菩提心を發さしむ。四には一向に志を專にして念佛三昧を行ず。此の四の行を具すれば、一切の生處常に佛前に在りて諸佛を離れず」と。又『經』(大樹緊那羅王經卷四意)に云く。「佛菩薩の行法を説きたまふに三十二の器有り。何ぞなれば、布施は是大富の器、忍辱は是端正の器、持戒は是聖身の器、五逆不孝は是刀山・劔樹・鑊湯の器、發菩提心は是成佛の器、常に能く念佛して淨土に往生するは是見佛の器なり」と。略して六門を擧げて餘をば述べず。聖敎既に爾り、行者生を願ひて何ぞ常に念佛せざらんや。又『月燈三昧經』(卷一)に依るに云く。「佛の相好及び德行を念じ能く諸根をして亂動せざらしむ。心に迷惑無く法と合すれば聞を得、智を得ること大海の如し。智者是の三昧に住して念を攝して行ずれば、經行の所に於て能く千億の諸の如來を見たてまつり、亦無量恆沙の佛に値ひたてまつる」と。
[第四大門 三、念佛三昧利益]
第三に問答解釋して念佛三昧に種種の利益有ることを顯すに其の五番有り。  第一に問て曰く。今常に念佛三昧を修すと云はば仍餘の三昧を行ぜざるや。答て曰く。今常念と言へども亦餘の三昧を行ぜずとは言はず。但念佛三昧を行ずること多きが故に。