第七に『華嚴經』(晋譯卷一四意)に依るに云く。「寧ろ無量劫に於て具に一切の苦を受くとも終に如來に遠ざかりて自在力を覩たてまつらざること不けん」と。又(晋譯卷七)云く。「念佛三昧は必ず佛を見たてまつり、命終の後に佛前に生ず。彼の臨終を見なば念佛を勸めよ。又尊像を示して瞻敬せしめよ」と。又(晋譯卷四六意)善財童子善知識を求めて功德雲比丘の所に詣して白して言さく。「大師云何が菩薩の道を修して普賢の行に歸せんと。是の時比丘、善財に告げて曰く。我世尊の智慧海の中に於て唯一法を知る。謂く念佛三昧門なり。何となれば此の三昧門の中に於て、悉く能く一切の諸佛及び其の眷屬、嚴淨の佛刹を覩見して、能く衆生をして顛倒を遠離せしむ。念佛三昧門は微細の境界の中に於て一切の佛の自在の境界を見、諸劫の不顛倒を得。念佛三昧門は能く一切の佛刹を起すに能く壞する者無し。普く諸佛を見て三世の不顛倒を得んと。時に功德雲比丘善財に告げて言く。佛法の深海は廣大無邊なり。我が知れる所は唯此の一の念佛三昧門を得たるのみ。餘の玅境界は數量に出過して我未だ知らざる所なり」と。
第八に『海龍王經』(卷一意)に依るに、「時に海龍王、佛に白して言さく。世尊、弟子阿彌陀佛の國に生ぜんことを求む。當に何なる行を修してか彼の土に生ずることを得べき。佛龍王に告げたまはく。若し彼の國に生ぜんと欲せば、當に八法を行ずべし。何等をか八と爲す。一には常に諸佛を念ず。二には如來を供養す。三には世尊を咨嗟す。四には佛の形像を作りて諸の功德を修す。五には往生を廻願す。六には心怯弱ならしめず。七には一心に精進す。八には佛の正慧を求むるなり。佛龍王に告げたまはく。一切衆生斯の八法を具すれば常に佛を離れず」と。