故に知んぬ、彼の國は是淨土なりと雖も、然も體上下に通ず。相無相を知るものは當に上位に生ずべし。凡夫火宅にして一向に相に乘じて往生するなり。
[第七大門]
第七大門の中に兩番の料簡有り。第一門の中に此彼の取相縛脱を料簡す。第二に次に此彼の修道功を用ふるに輕重ありて報を獲るに眞僞あることを明し、故らに勸めて彼に向はしむ。
[第七大門 一、二土取相]
第一に此彼の取相縛脱を料簡すとは、若し西方の淨相を取らば疾く解脱を得、純ら極樂を受けて智眼開朗なり。若し此の方の穢相を取らば唯妄樂・癡盲・厄縛・憂怖のみ有り。 問て曰く。大乘の諸經に依るに皆「無相は乃ち是出離の要道なり、執相拘礙すれば塵累を免れず」と云へり。今衆生を勸めて穢を捨て淨を忻はしむ。是の義云何。答て曰く。此の義類せず。何となれば凡そ相に二種有り。一には五塵の欲境に於て妄愛貪染して境に隨ひて執着す。此等の是相を之を名けて縛と爲す。二には佛の功德を愛して淨土に生ぜんと願ず。是相と言ふと雖も名けて解脱と爲す。何を以てか知ることを得る。『十地經』(卷五意)に云ふが如し。「初地の菩薩尚自ら二諦を別觀して心を勵まして作意す。先には相に依て求む、終には則ち無相なり。以て漸く增進して大菩提を體す。七地の終心を盡くして相心始めて息む。其の八地に入りて相求を絶す。方に無功用と名くるなり」と。是の故に『論』(十地經卷一〇意)に云く。「七地已還は惡貪を障と爲し善貪を治と爲す。八地已上は善貪を障と爲し無貪を治と爲す」と。況や今淨土に生ぜんことを願ふは現に是外凡なり。所修の善根皆佛の功德を愛するより生ず。豈是縛ならんや。故に『涅槃經』(北本卷一三・南本卷一二意)に云く。「一切衆生に二種の愛有り。一には善愛、二には不善愛なり。不善愛は唯愚之を求む。善法愛は諸菩薩求む」と。