十聲の稱佛も亦復是の如し、但遠生の與に因と作る、是の故に即ち生ずることを得ざるなり。佛直當來の凡夫の爲に、惡を捨て佛を稱せしめんと欲して、誑言して生ずと噵ふ、實には生ずることを得ざるを、名けて別時意と作すと噵道はば、何が故ぞ『阿彌陀經』(意)に「佛舍利弗に告げたまはく。若し善男子・善女人有りて、阿彌陀佛を説くを聞きて即ち應に名號を執持すべし、一日乃至七日、一心に生ぜんことを願ずれば命終らんと欲する時、阿彌陀佛諸の聖衆と與に迎接して往生せしめたまふ」と云ふや。次下に「十方に各々恆河沙等の如きの諸佛、各々廣長の舌相を出して、徧く三千大千世界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく。汝等衆生、皆應に是の一切諸佛の護念したまふ所の經を信ずべしと」といふ。護念と言ふは即ち是上の文の一日乃至七日佛の名を稱するなり。今既に斯の聖敎有り、以て明證と爲す。未審し、今時の一切の行者、知らず何の意ぞ、凡小の論に乃ち信受を加へて、諸佛の誠言をば返て將に妄語せんとす。苦しいかな、奈ぞ劇しく能く此の如き不忍の言を出すや。然りと雖も仰ぎ願はくは一切の往生を欲せん知識等、善く自ら思量せよ。寧ろ今世の錯を傷みて佛語を信ぜよ、菩薩の論を執して以て指南と爲すべからず。若し此の執に依らば、即ち是自ら失し他を悞るなり。 問て曰く。云何が行を起して而も往生を得ずと言ふや。答て曰く。若し往生せんと欲はば、要ず行願具足することを須ひよ、方に生ずることを得べし。今此の論の中には、但發願と言ひて、行有ることを論ぜず。 問て曰く。何が故に論ぜざる。答て曰く。乃至一念も曾て未だ心を措かず、是の故に論ぜず。 問て曰く。願行の義に何の差別か有る。答て曰く。『經』の中に説くが如し、但其の行のみ有るは行即ち孤にして、亦至る所無し。但其の願のみ有るは、願即ち虚しくして亦至る所無し。要ず須く願行相扶けて所爲皆剋すべし。是の故に今此の『論』の中には直發願と言ひて行有ることを論ぜず、是の故に未だ即ち生ずることを得ず。遠生の與に因と作るとは、其義實なり。