「刹利」と言ふは、乃ち是四姓の高元、王者の種なり、代代相承す、豈凡碎に同じからんや。「臣不忍聞」と言ふは、王の起惡を見るに、宗親を損辱して惡聲流布せん。我が性望耻慙するに地無し。「是旃陀羅」と言ふは乃ち是四姓の下流なり。此れ乃ち性匈惡を懷きて仁義に閑はず、人皮を著たりと雖も行禽獸に同じ。王は上族に居して押して萬基に臨む主。今既に惡を起して恩に加ふ、彼の下流と何ぞ異ならんや。「不宜住此」と言ふは、即ち二義有り。一には王今惡を造りて風禮を存せず、京邑神州豈旃陀羅をして主ならしめんや。此れ即ち宮城を擯出する意なり。二には王國に在りと雖も我が宗親を損す、遠く他方に擯して永く無聞の地に絶たんに如かず。故に「不宜住此」と云ふ。「時二大臣説此語」と言ふ已下は、此れ二臣の直諫切にして語極めて く、廣く古今を引きて王の心の開悟することを得んことを望むことを明す。「以手按劒」と言ふは、臣自ら手の中の劒を按ずるなり。 問て曰く。諌辭麤惡にして犯顏を避けず、君臣の義既に乖く、何を以てか身を廻らして直に去らずして乃ち「卻行而退す」と言ふや。答て曰く。麤言王に逆ふと雖も害母の心を息めんことを望む。又恐らくは瞋毒未だ除こらず、繋けたる劒己を危くせん、是を以て劒を按じて自ら防ぎて卻行して退く。
五に「時阿闍世驚怖」より下「汝不爲我耶」に至る已來は、正しく世王怖を生ずることを明す。此れ闍世既に二臣の諫辭麤切なるを見、又劒を按じて去るを覩て、臣我に背き彼の父の王に向ひて更に異計を生ぜんことを恐れ、情地をして安からざらしむることを致すことを明す。故に惶懼と稱す。彼既に我を捨つ、誰が爲にするかを知らず。心に疑ひて決せず、遂に即ち口に問ひて之を審にす。故に「耆婆汝不爲我也」と云ふ。「耆婆」と言ふは是王の弟なり。古人云く、家に衰禍有るときは、親に非ざれば救はずと。汝既に是我が弟なれば、豈月光に同ぜんやと。