總じて皆頓に捨つ。
三に「今向世尊」より下「懺悔」に至る已來は、正しく夫人淨土の妙處は善に非ざれば生ぜず、恐らくは餘有りて障へて往くことを得ざらん。是を以て求哀して更に懺悔すべきことを明す。
四に「唯願佛日」より下「淸淨業處」に至る已來は、正しく夫人通じて去行を請ふことを明す。此れ夫人上に即ち通じて生處を請ひ、今亦通じて得生の行を請ふことを明す。「佛日」と言ふは法・喩雙べ標するなり。譬へば日出でて衆闇盡く除こるが如く、佛智光を輝かして無明の夜日朗かなり。「敎我觀於淸淨」と言ふ已下は、正しく既に能く穢を厭ひ淨を欣ふ、若爲が安心し注想して淸淨處に生ずることを得るやといふことを明す。
五に「爾時世尊放眉間光」より下「令韋提見」に至る已來は、正しく世尊廣く淨土を現じて前の通請に酬へたまふことを明す。此れ世尊夫人の廣く淨土を求むることを見るを以て、如來即ち眉間の光を放ちて、十方の國を照らし、光を以て國を攝し、頂上に還來して化して金臺と作る、須彌山の如し。如の言は似なり、須彌山に似たり。此の山腰は細く上は闊し。所有佛國並に中に現ず。種種不同にして莊嚴異有り。佛の神力の故に了了分明なり。韋提に加備して、盡く皆見ることを得しむることを明す。 問て曰く。韋提上には我が爲に廣く無憂の處を説きたまへと請ず。佛今何が故ぞ爲に廣く説きたまはずして、乃ち金臺と爲して普く現ずるは何の意か有るや。答て曰く。此れ如來の意密を彰す。然るに韋提言を發して請を致す。即ち是廣く淨土の門を開くなり。若し之が爲に總じて説かば、恐らくは彼見ずして心に猶惑を致さん。是を以て一一顯現して彼の眼の前に對じて、彼の所須に信せて心に隨ひて自ら選ばしむ。
六に「時韋提白佛」より下「皆有光明」に至る已來は、正しく夫人總じて所現を領して、佛恩を感荷することを明す。此れ夫人總じて十方の佛國を見るに、並に悉く精華なれども、極樂の莊嚴に比せんと欲するに、