[欣淨縁]
五に欣淨縁の中に就て、即ち其の八有り。
一に「唯願世尊爲我廣説」より下「濁惡世也」に至る已來は、正しく夫人通じて所求を請ひ、別して苦界を標することを明す。此れ夫人自身の苦に遇ひて、世の非常を覺るに、六道同じく然なり、安心の地有ること無し、此に佛淨土の無生なるを説きたまふを聞きて、穢身を捨てて彼の無爲の樂を證せんと願ずることを明す。
二に「此濁惡處」より下「不見惡人」に至る已來は、正しく夫人所厭の境を擧出することを明す。此れ閻浮は總て惡にして、未だ一處として貪るべきこと有らず、但幻惑の愚夫なるを以て、斯の長苦を飮むことを明す。「此濁惡處」と言ふは、正しく苦界を明す。又器世間を明す。亦是衆生の依報處なり、亦衆生の所依處と名く。「地獄」等と言ふ已下は、三品の惡果最も重ければなり。「盈滿」と言ふは、此の三の苦聚は直獨り閻浮を指すのみに非ず、娑婆も亦皆徧く有り。故に「盈滿」と言ふ。「多不善聚」と言ふは、此れ三界・六道不同にして種類恒沙なり、心に隨ひて差別せることを明す。經に云く。「業能く識を莊る、世世處處に各々趣き、縁に隨ひて果報を受く、對面して相知らず」と。「願我未來」と言ふ已下は、此れ夫人眞心徹到して苦の娑婆を厭ひ、樂の無爲を欣ひて永く常樂に歸することを明す。但無爲の境、輕爾として即ち階ふべからず。苦惱の娑婆輒然として離るることを得るに由無し。金剛の志を發すに非ずよりは、永く生死の元を絶たんや。若し親たり慈尊に從ひたてまつらずば、何ぞ能く斯の長歎を勉れん。然して「願我未來不聞惡聲惡人」といふは、此れ闍王・調達が如き、父を殺し僧を破するもの、及び惡聲等、願はくは亦聞かず見ざらんといふことを明す。但闍王は既に是親生の子なり、上父母に於て殺心を起す。何に況や疎人にして相害せざらむや。是の故に夫人親疎を簡ばず、