亦喜忍と名く、亦悟忍と名く、亦信忍と名く。此れ乃ち玄に談ずるに、未だ得處を標さず、夫人をして等しく心に此の益を悕はしめんと欲ふ。勇猛專精にして心に見んと想ふ時に、方に忍を悟るべし。此れ多く是十信の中の忍なり、解行已上の忍には非ざるなり。
五に「佛告韋提」より下「令汝得見」に至る已來は、正しく夫人は是凡にして聖に非ず。聖に非ざるに由るが故に、仰いで惟みれば聖力冥に加して、彼の國遙かなりと雖も覩ることを得しむることを明す。此れ如來衆生惑を置して夫人は是聖にして凡に非ずと謂言はんことを恐る。疑を起すに由るが故に、即ち自ら怯弱を生ず。然るに韋提は現に是菩薩なり、假に凡身を示す、我等罪人、比及するに由無しといはん。此の疑を斷ぜんが爲の故に、汝是凡夫と言ふことを明す。「心想羸劣」と言ふは、是凡なるに由るが故に、曾て大志無し。「未得天眼」と言ふは、此れ夫人肉眼に見る所の遠近は、言を爲すに足らず。況や淨土彌々遙なり、云何ぞ見るべきといふことを明す。「諸佛如來有異方便」と言ふ已下は、此れ若し心に依て見る所の國土の莊嚴は、汝凡の能く普く悉すべきに非ず、功を佛に歸するべきことを明す。
六に「時韋提白佛」より下「見彼國土」に至る已來は、其れ夫人重ねて前の恩を牒して、後の問を生起せんと欲する意を明す。此れ夫人佛意を領解するに、上の光臺所見の如きは、是已に能く向に見つと謂ひしも、世尊の開示によりて始めて是佛の方便の恩たることを知り、若し爾らば佛今は世に在ませば、衆生念を蒙りて西方を見ることを得しむべきも、佛若し涅槃したまはば加備を蒙らざれば、云何が見ることを得んといふことを明す。
七に「若佛滅後」より下「極樂世界」に至る已來は、正しく夫人の悲心物の爲にす、己が往生に同じく、永く娑婆を逝りて、長く安樂に遊ばしめんといふことを明す。此れ如來期心の運度は、後際を徹窮して、未だ休まず。但世代り時移りて、羣情淺促なるを以ての故に、如來をして永生の壽を減じ、長劫を泯じて以て人年に類し、憍慢を攝せんとして以て無常を示し、