又身の四大を觀ぜしめよ。内外倶に空にして都て一物も無し。身の地大、皮肉・筋骨等、心に西方に散向すと想へ。西方の際を盡すに、乃至一塵の相を見ず、又想へ、身の水大、血汗・津涙等、心に北方に散向すと想へ。北方の際を盡すに、乃至一塵の相を見ず。又身の風大、東方に散向すと想へ。東方の際を盡すに、乃至一塵の相を見ず。又身の火大、南方に散向すと想へ。南方の際を盡すに、乃至一塵の相を見ず。又想へ。身の空大、即ち十方の虚空と一合すと想へ。乃至一塵不空の相を見ず。又身の五大、皆空にして唯識大のみ有りて、湛然として凝住す、猶し圓鏡の如し、内外明照にして朗然淸淨なりと想へ。此の想を作す時、亂想除こることを得て、心漸く凝定す。然して後徐徐に心を轉じて、諦かに日を觀ず。其の利根の者は、一坐に即ち明相現前を見て、境現ずる時に當りて、或は錢の大さの如く、或は鏡面の大さの如し。此の明の上に於て即ち自ら業障の輕重の相を見る。一には黑障、猶し黑雲の日を障へたるが如し。二には黄障、又黄雲の日を障へたるが如し。三には白障、白雲の日を障へたるが如し。此の日雲の障ふるに猶るが故に、朗然として顯照することを得ず。衆生の業障も亦是くの如し。淨心の境を障蔽して、心をして明照ならしむること能はず。行者若し此の相を見ば、即ち須く道場を嚴飾し、佛像を安置し、淸淨洗浴し、淨衣を著し、又名香を燒きて、諸佛一切賢聖に表白し、佛の形像に向かひて、現在一生に無始より已來、乃し身口意業所造の十惡・五逆・四重・謗法・闡提等の罪を懺悔すべし。極めて須く悲涕して涙を雨らし、深く慙愧を生じて、内心髓に徹り、骨を切りて自ら責むべし。懺悔し已りて、還前の坐法の如く、安心して境を取れ。境若し現ずる時は、前の如く三障盡く除こり、所觀の淨境朗然として明淨なり。此を頓に障を滅すと名く。或は一懺して即ち盡す者をば利根の人と名く。