四に「一一水中」より下「尋樹上下」に至る已來は、正しく水に不思議の用有ることを明す。即ち其の五有り。一には別して渠の名を指して、彼の莊嚴の相を顯すことを明す。二には渠内寶華の多少を明す。三には華量の大小を明す。四には摩尼寶の水、華の間に流注することを明す。五には寶水渠より出でて、諸の寶樹を尋ねて上下に礙無し、故に如意水と名くることを明す。
五に「其聲微妙」より下「諸佛相好者」に至る已來は、正しく水に不可思議の德有ることを明す。即ち其の二有り。一には寶水華の間に流注して、微波相觸るるに、即ち妙聲を出して、聲の中に皆妙法を説くことを明す。二には寶水岸に上りて、樹の枝・條・華・葉・菓等を尋ねて、或は上り或は下り、中間に相觸るるに、皆妙聲を出して、聲の中に皆妙法を説く。或は衆生の苦事を説きて、菩薩の大悲を覺動して、勸めて他を引かしめ、或は人・天等の法を説き、或は二乘等の法を説き、或は地前地上等の法を説き、或は佛地三身等の法を説くことを明す。
六に「如意珠王」より下「念佛法僧」に至る已來は、正しく摩尼に多く神德有ることを明す。即ち其の四有り。一には珠王の内より金光を出すことを明す。二には光化して百寶の鳥と作ることを明す。三には鳥聲哀雅にして、天の樂も以て比方となすこと無きことを明す。四には寶鳥音を連ねて同聲に念佛・法僧を讚歎することを明す。然るに佛は是衆生無上の大師なり、邪を除きて正に向はしむ。法は是衆生無上の良藥なり、能く煩惱の毒病を斷じて、法身淸淨ならしむ。僧は是衆生無上の福田なり、但使心を傾けしむれば、四事疲勞を憚らず、五乘の依果、自然に念に應じて、所須而も至る。其の寶珠、前には八味の水を生じ、後には種種の金光を出す。直闇を破し昏を除くのみに非ず、到る處に能く佛事を施す。
七に「是爲」より下は總じて結す。
上來七句の不同有りと雖も、廣く寶池觀を明し竟んぬ。