即ち是前を牒して後を生ず。此れ寶樹精なりと雖も、若し池水無くば亦未だ好と名けざることを明す。一には世界を空しからざらしめんが爲、二には依報を莊嚴せんが爲なり。斯の義の爲の故に此の池渠の觀有り。
二に「極樂國土」より下「如意珠王生」に至る已來は、正しく池數を明し、并に出處を辨ず。即ち其の五有り。一には所歸の國を標指することを明す。二には池に八數の名有ることを明す。三には一一の池岸、七寶もて合成せることを明す。正しく寶光映徹し、八德の水を通照するに由て、一に雜寶の色に同じ。故に寶水と名く。四には是の諸の衆寶體性柔輭なることを明す。五には八池の水、皆如意寶の中より出でて、即ち如意水と名くることを明す。此の水に即ち八種の德有り。一には淸淨潤澤、即ち是色入の攝なり。二には臭からず、即ち是香入の攝なり。三には輕し。四には冷し。五には輭なり、即ち是觸入の攝なり。六には美し、是味入の攝なり。七には飮む時に調適す。八には飮み已りて患無し、是法入の攝なり。此の八德の義、已に『彌陀義』の中に在りて廣く説き竟んぬ。又讚じて云く。極樂莊嚴安養國、八德の寶池流れて徧滿せり。四岸暉を含みて七寶を間へ、水色分明にして寶光に映ず。體性柔輭にして堅觸無く、菩薩徐に行いて寶香を散ず。寶香・寶雲寶盇と成り、寶盇空に臨みて寶幢に覆ふ。寶幢の嚴儀寶殿を圍み、寶殿の寶鈴珠網に垂れたり。寶網・寶樂千重に轉じて、機に隨ひて寶宮樓を讚歎す。一一の宮樓に佛會有り、恒沙の聖衆坐して思量す。願はくは此の有縁常に憶念して、命を捨てて同じく彼の法堂に生ぜん。
三に「分爲十四支」より下「以爲底沙」に至る已來は、正しく池分れて溜を異にし、旋還して亂るること無きことを明す。即ち其の三有り。一には渠數の多少を明す。二には一一の渠岸黄金の色を作すことを明す。三には渠下の底沙雜寶の色を作すことを明す。「金剛」と言ふは、即ち是無漏の體なり。