總じて觀の名を擧ぐ。
二に「此菩薩身量大小」より已下は、次に觀の相を辨ず。即ち其の五有り。一には身量觀音に等類することを明す。二には身色觀音に等類することを明す。三には面相觀音に等類することを明す。四には身光・相好觀音に等類することを明す。五には毫相光を舒べて轉變すること、觀音に等類することを明す。
三に「圓光面各百二十五由旬」より已下は、正しく圓光等觀音に同ぜざる相を明す。即ち其の四有り。一には圓光の大小を明す。二には光照の遠近を明す。三には化佛の多少を明す。四には化佛の侍者の多少を明す。
四に「擧身光明」より下「名大勢至」に至る已來は、正しく身光遠く備りて有縁を照益し、等しく他方に及び、皆紫金の色を作すことを明す。即ち其の八有り。一には身光の總別の不同なることを明す。二には光照の遠近を明す。三には光の觸るる所處皆紫金の色を作すことを明す。四には但勢志と宿業縁有る者、即ち此の光を覩觸することを得ることを明す。五には但一毛孔の光を見れば、即ち能く多く諸佛の淨妙の身光を見ることを明す。此れ即ち少を擧げて以て多益を顯して、之を行ずる者をして悕心渇仰して、入觀以て之を證せしめんと欲す。六には光に依て以て名を立つることを明す。七には光の體用を明す。即ち無漏を體と爲すが故に智慧光と名く。又能く十方三惡の苦を除息するを、無上力と名く。即ち用と爲すなり。八には大勢志と名くることは、此即ち德に依て名を立つることを明す。
五に「此菩薩天冠」より下「皆於中現」に至る已來は、正しく天冠の莊嚴の相、觀音と同じからざることを明す。即ち其の四有り。一には冠上の寶華の多少を明す。二には一一の華上の寶臺の多少を明す。三には一一の臺の中に十方諸佛の淨土を映現することを明す。四には他方の土現ずれども、彼此都て增減無きことを明す。
六に「頂上肉髻」より下「普現佛事」に至る已來は、正しく肉髻の寶缾の相を明す。