佛の印可したまふをば、即ち佛の正敎に隨順す。若し佛の所有の言説は、即ち是正敎・正義・正行・正解・正業・正智なり。若しは多若しは少、衆て菩薩・人・天等を問はず、其の是非を定めんや。若し佛の所説は即ち是了敎なり、菩薩等の説は盡く不了敎と名く。知るべし。是の故に今の時、仰いで一切有縁の往生人等を勸む、唯深く佛語を信じて、專注奉行すべし、菩薩等の不相應の敎を信用して以て疑礙を爲し、惑を抱きて自ら迷ひて往生の大益を廢失すべからざれ。又深心の深信とは、決定して自心を建立して、敎に順じて修行し、永く疑錯を除きて、一切の別解・別行・異學・異見・異執の爲に退失傾動せられざるなり。
問て曰く。凡夫智淺く、惑障處深し。若し解行不同の人、多く經論を引きて來り、相妨げて難證して、一切の罪障の凡夫、往生を得ずと云ふに逢はば、云何が彼の難を對治して信心を成就し、決定して直に進みて怯退を生ぜざらんや。答て曰く。若し人有りて多く經論の證を引きて生ぜずと云はば、行者即ち報へて云へ。仁者經論を將て來し證して生ぜずと噵ふと雖も、我が意の如きは、決定して汝が破を受けず。何を以ての故に、然るに我亦是彼の諸經論を信ぜざるにはあらず、盡く皆仰いで信ず。然るに佛彼の經を説きたまひし時、處別・時別・對機別・利益別なり。又彼の經を説きたまふ時は、即ち『觀經』・『彌陀經』等を説きたまふ時に非ず。然るに佛の説敎は機に備らしむ、時亦不同なり。彼は即ち通じて人・天・菩薩の解行を説く。今『觀經』の定散二善を説きたまふことは、唯韋提及び佛滅後の五濁・五苦等の一切凡夫の爲に、證して生を得と言ふ。此の因縁の爲に、我今一心に此の佛敎に依りて、決定して奉行す。縱使ひ汝等百千万億ありて、生ぜずと噵ふも、唯我が往生の信心を增長し成就せん。又行者更に向ひて説きて言へ。仁者善く聽け、我今汝が爲に更に決定の信の相を説かん。