正しく彌陀諸の聖衆と與に、臺を持して來應したまふことを明す。即ち其の五有り。一には行者の命延久しからざることを明す。二には彌陀衆と與に自ら來りたまふことを明す。三には侍者臺を持して行者の前に至ることを明す。四には佛聖衆と、同聲に讚歎して、本所修の業を述べたまふことを明す。五には佛行者の疑を懷かんことを恐れたまふが故に、我來りて汝を迎ふと言ふことを明す。
四に「與千化佛」より下「七寶池中」に至る已來は、正しく第九門の中の、衆聖の授手と、去時の遲疾を明す。即ち其の五有り。一には彌陀千の化佛と、同時に手を授けたまふことを明す。二には行者既に授手を蒙りて、即ち自ら身を見れば、已に身紫金の臺に坐することを明す。三には既に自ら臺に坐することを見て、合掌して仰いで彌陀等の衆を讚ずることを明す。四には正しく去時の遲疾を明す。五には彼に到りて寶池の内に止住することを明す。
五に「此紫金臺」より已下は、正しく第十門の中の、彼に到りて華開くる時節の不同を明す。行強きに由るが故に、上の上は即ち金剛臺を得。行劣なるに由るが故に、上の中は即ち紫金臺を得。生じて寶池に在りて、宿を逕て開くが如し。
六に「佛及菩薩倶時放光」より下「得不退轉」に至る已來は、正しく第十一門の中の、華開已後の得益の不同を明す。即ち其の五有り。一には佛光身を照らすことを明す。二には行者既に體を照らすことを蒙りて、目即ち開明なることを明す。三には人中にして所習によりて、彼に到りて衆聲の彰す所還其の法を聞くことを明す。四には既に眼開けて法を聞くことを得て、即ち金臺より下り、親しく佛邊に到りて、歌揚して德を讚ずることを明す。五には時を逕ること七日にして、即ち無生を得ることを明す。「七日」と言ふは、恐らくは此の間の七日なり、彼の國の七日を指すにあらざるなり。此の間に七日を逕るは、彼の處には即ち是一念須臾の間なり。應に知るべし。
七に「應時即能飛至十方」より下「現前授記」に至る已來は、正しく他方の得益を明す。即ち其の五有り。一には身十方に至ることを明す。二には一一に歴て諸佛を供することを明す。三には多くの三昧を修することを明す。