口業に彼の佛を讚歎し稱揚す、意業に彼の佛を專念し觀察す。凡そ三業を起すに必ず眞實を須ひるが故に至誠心と名く。二には深心、即ち是眞實の信心なり。自身は是煩惱を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流轉して、火宅を出でずと信知す。今彌陀の本弘誓願は、名號を稱すること下至十聲・一聲等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、乃し一念に至るまで疑心有ること無し、故に深心と名く。三には回向發願心、所作の一切の善根、悉く皆回して往生を願ず、故に回向發願心と名く。此の三心を具して必ず生を得るなり。若し一心少けぬれば即ち生を得ず。『觀經』(觀經四帖疏)に具に説くが如し。應に知るべし。

又天親の『淨土論』に云ふが如し。若し彼の國に生ぜんと願ずること有らん者には、勸めて五念門を修せしむ。五門若し具すれば定んで往生を得。何者か五と爲る。一には身業禮拜門、所謂一心專至して、恭敬合掌し香華供養して、彼の阿彌陀佛を禮拜す。禮すれば即ち專ら彼の佛を禮して、畢命を期と爲して餘禮を雜へず。故に禮拜門と名く。二には口業讚歎門、所謂意を專にして、彼の佛の身相・光明、一切の聖衆の身相・光明、及び彼の國中の一切の寶莊嚴・光明等を讚歎す。故に讚歎門と名く。三には意業憶念觀察門、所謂意を專にして、彼の佛及び一切の聖衆の身相・光明、國土の莊嚴等を念觀す。『觀經』に説くが如く、唯睡時を除きて、此の事等を恒憶し恒念し恒想し恒觀す。故に觀察門と名く。四には作願門、所謂心を專にして、若しは晝若しは夜、一切時一切處に、三業四威儀の所作の功德、初中後を問はず、皆須く眞實心の中に發願して、彼の國に生ぜんと願ずべし。故に作願門と名く。五には回向門、所謂心を專にして、若しは自作の善根、