理及び敎を尋ねて、其の難易の二の門を鑒みて、永く其の惑を除くべし」と。已上略抄。但十五の同の義、彼の論を見るべし 問。玄奘の傳ふ所、會せずんばあるべからず。答。西域の行法は暗ければ以て決し難きも、今試みに會して云く。西域の行者、多く小乘に有り。十五國は大乘を學し、十五國は大小兼學し、四十一國は小乘を學す 兜率に上生することは大小共に許し、他方の佛土に往くことは大は許すも小は許さず。彼は共に許すが故に、並に兜率と云ふか。流沙より以東は盛に大乘を興す、彼の西域の雜行に同ずべからず。何に況や諸敎の興隆は、必ずしも一時ならず。就中念佛の敎は、多く末代の經道滅後の濁惡の衆生を利するの計なり。彼の時には天竺に未だ興盛ならざるか。若し爾らずば、上足の基師、豈別に『西方要決』を著して、十の勝劣を立てて自他を勸むべけんや。 問。『心地觀經』(卷三)に云く。「我今の弟子をば彌勒に付す、龍華會中にして解脱を得ん」と。豈如來兜率を勸進したまふに非ずや。答。此亦違ふこと無し、誰か『上生』・『心地』等の兩三の經を遮せん。然るに極樂の文の、顯密且千なるには如かず。又『大悲經』の第三に云く。「當來の世に於て法の滅せんと欲する時、當に比丘・比丘尼有りて、我が法の中に於て、出家することを得已り、手に兒の臂を牽ゐて共に遊行し、酒家より酒家に至り、我が法の中に於て非梵行を作すべし。乃至 但使ひ性は是沙門なれども、沙門の行を汙して、自ら沙門と稱し、形沙門に似て、袈娑衣を被著せること有る者は、此の賢劫に於て彌勒を首と爲し、乃至最後の盧遮佛の所にして、般涅槃に入り、遺餘有ること無かるべし。何を以ての故に、是の如く一切の諸の沙門の中に、乃至一びも佛の名を稱し、一びも信を生ぜん者は、所作の功德、終に虚設ならざればなり」と。已上 『心地觀經』の意も亦是の如し。故に彼の『經』に龍華と云ひて、覩率と云はず。今之を案ずるに、釋尊の入滅より慈尊の出世に至るまでは、五十七倶胝、六十百千歳を隔てたり。新婆沙論 其の間の輪回、劇苦幾處ぞや。何ぞ終焉の暮、