美言にして益する所多し。我今稽首し禮したてまつる。 一切の賢聖衆、及び諸の人天衆、咸く皆共に歸命す。是の故に我亦禮したてまつる。彼の八道の船に乘じて、能く難度の海を度す。自ら度し亦彼を度せん。我自在者を禮したてまつる。諸佛無量劫に、其の功德を讃揚せんに、猶尚盡すこと能はず。淸淨人を歸命したてまつる。我今亦是の如し、無量の德を稱讃す。是の福の因縁を以て、願はくは佛常に我を念じたまへ。 此の福の因縁を以て、獲ん所の上妙の德、願はくは諸の衆生の類も、皆亦悉く當に得んことを」と。彼の論に三十二の偈有り。今略して要を鈔す。具には別鈔に有り。或は復『往生論』の偈、眞言敎の佛讃、阿彌陀の別讃あり。此等の文を一遍にても多遍にても、一行も多行も、但應に誠を至すべし、多少を論ぜざれ。設ひ餘の行無からんも、唯讃嘆に依て、亦應に願に隨ひて必ず往生することを得べし。『法華』(卷一)の偈に云へるが如し。「或は歡喜の心を以て、歌唄して佛德を頌すること、乃至一小音せんに、皆已に佛道を成ぜり」と。一音既に爾なり、何に況や常に讃ぜんをや。佛果尚爾なり、何に況や往生をや。眞言の讃佛は利益甚だ深なり、顯露すること能はず。
[四、正修念佛 作願門]
第三に作願門とは、以下の三門は是三業相應の意業なり。綽禪師の『安樂集』(卷上)に云く。「大經に云く、凡そ淨土に往生せんと欲はば、要ず發菩提心を須ふるを源と爲すと。云何となれば、菩提は乃ち是無上佛道の名なり。若し發心作佛せんと欲はば、此の心廣大にして法界に遍周せん、 此の心長遠にして未來際を盡す、此の心普く備に二乘の障を離る。若し能く一び此の心を發さば、無始生死の有淪を傾く。 淨土論に云く。發菩提心とは、正しく是願作佛心なり。願作佛心は、即ち是度衆生心なり。度衆生心は、即ち是衆生を攝受して有佛の國土に生ぜしむるの心なり。今既に淨土に生ぜんと願ず。故に先づ須く菩提心を發すべしなり」と。已上 當に知るべし、菩提心は是淨土菩提の綱要なり。故に聊か三門を以て、